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夜の闇に、白い花が散る。
深い森の向こうに見える、禿げた岩山、荒涼とした大地・・・・。
ひんやりとした夜気に、花のかすかな芳香が漂う。
珠晶は両手いっぱいに抱えた石斛の花を、眼下の大地に向けて次々と投げ落とした。 黄海は漆黒の闇に包まれている。半分に欠けた月の光は、黄海の深い闇を追い払うにはいかにも弱々しかった。
「・・・きれいね・・」
珠晶は闇に消えていく白い花を見つめて、ぼんやりとつぶやいた。
白々とした月の光が、花をまるでこの世ならぬもののように、虚ろに儚く照らしている。
「まるで、人の命みたい・・・」
金の鬣【たてがみ】にそっと頬を埋める。
珠晶をその背に乗せたまま、雌黄の毛並みを持つ優美な獣は中空に静止していた。
主を案じるように首を捻じ曲げ、深い色の瞳が問い掛けるように珠晶を見つめる。
「みんないなくなっちゃう・・・。こうして少しずつ、私の手からこぼれ落ちて消えていってしまう・・・」
ひらひらと落ちていく白い花がぼやけ、珠晶は目をしばたかせた。
目頭にわずかに熱を感じる。
「別に、悲しくなんてないわ。頑丘は天寿をまっとうしたんだもの。
黄海で妖獣を狩ってる間にぽっくりいっちゃうなんてあまりにも頑丘らしくて笑っちゃうわ。まさしく大往生よね」
ぽたり、と麒麟の鬣に雫が落ち、珠晶はあわててごしごしと目をこすった。
「どうしても、仙にはなりたくないって言うんだもの・・・。もういい加減黄海に入るのは無理だって、何度も言ったのに・・・。」
ぬぐっても、ぬぐっても涙は止まらなかった。
麒麟が首を伸ばして、珠晶の涙をそっと舐め取る。
乾いた舌は思ったよりもなめらかで暖かい。
「本当に頑固なんだから・・・。おまけに偏屈で、自分勝手で、ちっとも他人の事なんて考えない・・・」
しなやかな首をきつく抱きしめる。
頬に当たるやわらかな鬣が心地よかった。
「残されたものの気持ちなんて・・・ちっとも・・・・っ!」
かすかに漏れた嗚咽は、遠方でやかましく羽ばたく妖魔の奇声にかき消された。
ざらり・・と姿を消していた使令が身動きする気配がする。
「主上・・・、そろそろ・・」
それまで無言だった供麒が、ためらいがちに言葉を発した。
「・・・・かえりたくない・・」
珠晶はいっそう強く、供麒の首にしがみついた。
「・・主上・・」
供麒は困ったように首をかしげた。
獣形の麒麟の顔は表情に乏しかったが、珠晶の脳裏にはいつもの供麒の困った顔が浮かぶ。
「お願い、供麒。今夜はここにいたいの・・・」
供麒はため息を吐く。
獣の姿ではため息がつけず、盛大な鼻息がもれたところがやけにおかしかった。
珠晶の口元に、思わずかすかな笑みがもれる。
「ね。使令だっているし、一晩くらい大丈夫でしょう?いざとなったら逃げればいいんだし・・・」
「主上がそうおっしゃるなら・・・」
するり・・、するり・・と、闇から供麒の使令が姿をあらわす。
供麒は使令に周囲を守らせ、ゆっくりと荒地に舞い下りた。
「供麒。あそこがいいわ」
背から降り、珠晶は供麒の首に手をかけて、潅木の茂みへ歩み寄った。
何回かうろうろと茂みの周りを歩きまわり、供麒がごろりと丸くなる。
「なんだか、この形で眠るのは落ち着きません・・・・」
当惑したようにつぶやいて、もぞもぞと姿勢を変える。
やがてあきらめたのか前足を長く伸ばして伏せたまま動かなくなった。
珠晶は供麒に寄り添うように横たわった。
金の鬣【たてがみ】に頬を埋め、背中に頭を乗せて目を閉じる。
「お寒くありませんか・・?」
「平気・・・」
麒麟の体は温かかった。人形の時と獣形の時では体温も変わるのだろうか・・と珠晶はぼんやり思う。
しばらくの間、お互いの呼吸する音だけが響く。
「あの・・主上・・」
遠慮がちな供麒の声に珠晶ははじめて自分が震えている事に気づいた。
「何かお掛けするものでも・・・」
「寒くない・・・・」
供麒はため息をつく。こういう時の珠晶の頑固さは嫌というほどわかっているのだろう。
珠晶は麒麟のほっそりとした首に手を回した。
「・・・・・こわいの・・」
目を見開いて、闇を見詰める。
供麒がためらいがちに、珠晶の鼻先を舐めた。
「自分だけ、取り残されてる気がするの・・・。霜楓宮の中は何年たっても変わらないように見えるけど、少しずつ、少しずつ顔ぶれが変わってる・・・。ずっとそれを考えないようにしてたけど、頑丘は死んでしまった・・・」
麒麟の毛皮は暖かく、寒さは感じなかった。しかし、身の内からくる震えがどうしても止まらない。
いつの頃からか、連檣に降りなくなった・・・。
昔は懐かしく聞いていた故郷の話も、あまり聞きたいと思わなくなった・・・。
両親や、兄弟、懐かしい友人の消息を聞くのが恐くなった。
「私が子供の姿のまま足踏みしているうちに、みんなどんどん私から遠ざかっていってしまう・・・」
珠晶の目尻から、涙が幾筋も零れ落ちた。
供麒が鼻を鳴らし、珠晶の涙を舐め取る。
珠晶はきつく目を閉じた。
もう何年も、泣いた事などなかったのに、涙はあとからあとからあふれて止まらない。
無性にさみしい気がした。
手を伸ばして、鬣に包まれた首筋をなでる。
供麒は心地よさそうに目を閉じて首を伸ばした。
毛皮ごしに伝わる供麒の体の温かさが、珠晶をいっそう切ない気分にさせ、珠晶は鳴咽を押し殺した。
飽きるほど泣いて、腫れぼったくなった瞳で空を見つめると月は厚い雲に見え隠れしながら儚く地表を照らしている。
供麒の体からは、焚きしめられた香のにおいがした。
どこをどう見ても獣にしか見えないのに、匂いだけはいつもと同じなのが妙におかしい。
なんとなくむかむかして、珠晶は供麒の頭をぺしり、と叩いた。
「あんたがいけないのよ!どこをどう見ても獣にしか見えないんだもの!いっとくけど、私は王の次に騎商になりたかったんだから!」
供麒はきょとんとしたように珠晶を見つめ、鼻をひくひくうごめかせた。
「・・・あんたの前で泣くなんて、一生の不覚だわ!獣のふりなんてしてるから油断しちゃったのよ・・・」
とん・・と供麒の肩に頭を乗せて目を閉じる。
いつのまにか、震えは止まっていた。
供麒が機嫌を取るように、その鼻面を珠晶に押し付ける。
夜気で冷えた鼻が、べちゃりと珠晶の頬に触れて、珠晶は身を竦ませた。
「ちょっと!鼻押し付けないでよ!濡れてて気持ち悪いんだから!」
ついでにもう一発、供麒の頭を叩く。
供麒は困ったように珠晶を見つめていたが、やがてあきらめたのか鼻先を地面に押し付けて目を閉じた。
すぐに規則正しい鼻息が聞こえ、耳がだらりと下がる。
珠晶はぼんやりと薄目を開けて月を見つめた。
東の空が、かすかに明るくなっている。
今夜は寝不足になりそうだった。
暖かい毛皮に頬をすりよせ、珠晶は目を閉じた。
<Fin>
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