おひめさまと金色の枝
央野迷子
立付けの悪い木の扉を閉め、固い金具を苦心して回して、珠晶はほっと息をついた。
振り返って空を見上げると、深い色の葉を茂らせた常緑樹の隙間から、白くやわらかな春の日差しが揺れている。
よく見ると、冬の間も固い葉を落とさなかったその枝の先に覗くのは、淡い色の新芽。
ところどころにある落葉樹のむきだしの枝のあちらこちらにも、白い産毛につつまれた小さな芽が見える。 春が来るのだ。
きゅるるると厩舎の中から甘えた鳴き声がした。
珠晶がまだ立ち去ってないことを察した旱獣が、もっとかまってくれと催促しているのだ。その獰猛そうな姿に似つかず、旱獣の鳴き声は高い。 珠晶は思わず笑みをもらし、足音をたてないように気を付けながら歩き出す。
霜楓宮の外宮のさらに先にあるこの厩舎は珠晶のお気に入りの場所だった。 政務が早く終わった時や、急に予定が空いてしまった時、そして一人になりたい時、珠晶はいつもこの厩舎で騎獣と過ごす。官吏や女御もここまではやって来ない。
こんなところまでやってくるのは、時々きまぐれに訪ねてくる奏国の次男坊と、そして・・・・・・。
ほんの数歩もいかないうちに、珠晶はその人影に気付いて足を止めた。
外殿へと続く小道の脇に植えられた公孫樹の下に、供麒が佇んでいる。 目が合うと、ゆっくりと会釈して微笑んだ。
「・・・いつから待ってたの?」
声をかけると、供麒はうれしそうにまた笑った。
「半刻ほど前です」
「声をかけてくれればいいのに」
供麒は答えず、ただにこりと笑う。 珠晶は肩をすくめた。
麒麟には王の気配が見えるのだという。珠晶がどこにいても、供麒はあっさりと見つけ出して、しかし声をかけたりはせずにただ珠晶を待っている。珠晶の邪魔にならない位置で、やがて気が済んだ珠晶が踵を返して自分を見つけてくれるのを待っている。
そして、珠晶が気がつくといつも嬉しそうに笑うのだ。
呼んでくれればいいのにと何回言っても、供麒が行動を改める気配はない。 いつもおっとりとして素直なこの麒麟が、実はかなりの頑固者なのを珠晶は知っている。
「で、なにか用?」
問いかけながら、珠晶はさっさと歩き出す。供麒が慌てて後を追う。
「あ、あの主上にお見せしたいものがあって・・・」
「私に?」
意外な思いで足を止めて振り向くと、危うく珠晶にぶつかりそうになった供麒がバランスを崩しかけながら踏みとどまる。
「ええ」
供麒はにこりと笑って、がさごそと
「あ!ちょっと後向いててください」
「いいけど・・・・」
うれしそうに弾んだ供麒の声に、珠晶も素直に後ろを向く。
実のところ意外だった。 確かに緊急の用事があって供麒が珠晶を探しに来るような時もあるのだが、そんなことはごく稀だ。供麒がこうやって声もかけずに待っているような時は、ただ珠晶に会いたかったからとか、通りかかったら王気が見えたからとか、聞いているこちらが面食らってしまうような理由ばかりなのに。
供麒の言葉はいつも素直過ぎて、珠晶はたまに返す言葉に詰まってしまう。
「いいですよ、主上。こちらを向いてください」
わくわくしたような供麒の声。 振り向くと、珠晶の視界いっぱいに、ひらひらと薄紅色の花弁が舞った。
「・・・・桜?」
少し驚いて、珠晶は供麒を見上げる。珠晶の頭の上で、供麒は手の平に残った花弁を払う。 ひらり、ひらりと最初の時よりゆっくり、花弁が舞い落ちた。
「河津庄の早咲きの桜ですよ。主上も見てみたいとおっしゃってたでしょう?」
微笑んで、供麒は裏返した袂を珠晶の頭上高くに差し上げる。 楽しそうな供麒の様子に、珠晶も思わず笑みを浮かべてしまう。
河津庄とは緯州にある里の一つで、早咲きの桜で有名である。緯州の州侯は供麒なので、毎年春になると招待されるのだが、いつもなんやかんやと用事が入ってしまい、まだ一度も珠晶はその桜を目にしていないのだ。
今日だって、本当は朝から夕刻まで予定が詰まっていた。しかし、午後からいろいろ話を聞くことになっていた官が急に病気で来れなってしまい、かといって気を取り直して別の政務をするのも腹立たしくて、厩舎にいたのだ。
「ありがとう。こんなに集めるの大変だったでしょう?」
「みなさんに手伝っていただきましたから」
珠晶に礼を言われて、供麒は嬉しそうに答える。
供麒は咲いている花の花弁を無理に取るようなことはしないから、きっと自然に落ちた花びらを集めたのだろう。しかし、供麒の手のひらからこぼれた花弁は美しく、土などついていなかった。
「主上が見たいっておっしゃってましたとお話したら、みなさん喜んで集めて下さいましたよ」
珠晶の沈黙をどう取ったか、供麒が安心させるように微笑みかける。
「ありがとう。今度行ったら、私がお礼を言っていたと伝えてちょうだい」
「はい!きっと皆喜びますよ」
まるで自分のことのように、うれしそうに供麒が笑う。 明るい微笑がなんだか眩しい気がして、珠晶も目を細めた。
供麒がまっすぐに向けてくる無条件の信頼や思慕が、いつもなんだかうっとうしくて、つい邪険にしてしまうことが多いが、なんだか今日は不思議と腹が立たなかった。
「あ、主上。・・実はもう一つあるんです」
珠晶の機嫌がいいのに安心したのか、供麒が珍しく珠晶の顔を覗き込むようにしてにっこりと笑う。がさごそと今度は襟元に手を差し込むと、布張りの小さな小箱を取り出した。
一目で上等の絹だとわかる、金糸銀糸の刺繍の入った蓋を開けると、中に入っていたのは華奢な金色の
その歩揺は枝を模したもののようだった。ほっそりした枝の先には橙がかった小さな紅玉。曲線的な金の地肌はやわらかい光沢を放っている。
「これ・・・どうしたの・・・?」
驚いて、珠晶は尋ねた。供麒の贈り物としては、あまりにもそぐわない。
「拓尊どのからいただいたんです」
供麒は緯州の州宰である官の名前を言う。
「ちょ、ちょっと待って。それって賄賂じゃ・・・・・・」
珠晶は慌てた。拓尊と言えば、霜楓宮でも悪名高い男である。黒い噂が絶えず、珠晶が即位した時もさんざん陰に陽に反発し、しかし処罰する隙を与えなかった。
「あ、もちろん、こんな高価なものをただいただく訳にいかないので、お返しはしましたよ」
珠晶の慌てぶりを見て、供麒はにこにこと付け加える。
「お、お返しって、あなたまさか・・・」
珠晶は思わず食いつくように供麒を見つめてしまう。 しかし供麒の返答は、さらに珠晶の恐れを超越したところにあった。
「先日範からいただいた美しい反物があったので、お礼に差し上げました」
のほほんと言う供麒を、珠晶は呆然と見つめた。
「・・・・・反物・・?」
力なく呟いて、ため息をつく。なんだか頭に鈍い痛みを感じる。
「あなた・・まさか食事に招待されたりしてないでしょうね・・・?」
眉をひそめて問い掛けると、供麒は不思議そうに首をかしげた。
「ええ、ごちそうになりましたが・・・・いけませんでしたか・・・?」
珠晶はがっくりと肩を落とした。
「それで・・・なにかお返ししたの・・・?」
「ええ。なんだか緯州ではみなさん入れ替わり立ち替わり招待してくださるので、さすがに一人一人別々にごちそうするわけにもいかず、先日まとめて晩餐にご招待しました」
「そう・・・・・」
なんだかその光景が目に見えるような気がして、珠晶は頭を抱える。
「拓尊どのにお招きいただいた料亭は素晴らしいところでしたよ。なんだか天女のように美しい女性がたくさんいて、舞を踊ってくださいました」
「・・・・そう・・・よかったわね・・・」
「なんだか蓬山を思い出して懐かしかったです」
「蓬山・・・ね・・・」
珠晶は天を仰ぐ。 拓尊やその他の、供麒に賄賂を送った官に、なんだか少し同情したくなってきた。
反物をお返しに贈られた拓尊は、さぞかしびっくりしたことだろう。そして、晩餐に招待された官はどれほど気まずい思いで互いの顔を見つめたのかと思うと、なんだか無性におかしくなってきた。
体の奥から、笑いがこみ上げてくる。
「主上?」
不意に笑い出した珠晶に、供麒は驚いたように目を見開いた。
「ど、どうなさったんです?」
おろおろと慌てる供麒がおかしくて、珠晶はますます笑い出す。
痛快だった。胸の奥のいろいろなものが、一気に吹き飛ばされたような心地がした。
しばらく呆然と主の珍しい姿を見ていた供麒も、軽やかな珠晶の笑い声にうれしそうに笑みを浮かべた。
「ねぇ供麒。それ、挿していい?」
珠晶は微笑んで、頭に付けていた歩揺を外す。するりと抜くと、頭が不意に軽くなってさらさらと髪が零れ落ちてきた。
「え・・・?」
珠晶は驚いて頭に手をやる。手の動きに合わせて、髪が何の抵抗もなく額にかかる。
「失敗した・・・・・」
珠晶はぐしゃりと髪をかきあげた。そういえば最近、女御が妙に珠晶の髪に気合を入れているのだ。 変形髷とか、櫛をたくさん使ってみたりとか、
そして今日の髪型はその、「
「どうしようかしら・・・」
別にこのまま戻ってもちっとも構わないのだが、なんだかそれも照れくさい。
「主上!」
困惑する珠晶に、供麒がどこか張り切った声で呼んだ。振り返ると、いつのまにか供麒が下草の上に長袍を敷き、珠晶を待っている。
「なにしてるの?」
「いいから、こちらへ」
行って供麒は、長袍を指し示す。どうやらそこへ座れと言っているらしい。
「いったい何なの?」
わけがわからないまま、珠晶は長袍に膝をつく。
「櫛をお持ちですか?」
供麒は珠晶の背後に回って、同じく膝をついた。
「ええ・・持っているけど・・・」
差し出すと供麒は櫛を手に取り、珠晶の髪に手を伸ばした。
「え、ええ?ちょっと、供麒!」
「だいじょうぶですよ。実は得意なんです」
胸を張るように、得意げに微笑む供麒を、なんだか珠晶はびっくりして見つめる。 今日は、供麒に驚かされてばかりだ。 いまいち不安は消えなかったが、どっちみち自分では結えないので珠晶は大人しく供麒に任せる。
供麒が持った櫛が、丁寧に珠晶の髪を漉く。そっと髪をとる手つきも細やかで、珠晶は少し呆然としながら身を任せる。
両脇から取った髪をきっちり捻って、頭頂部で輪を作り、供麒は金の歩揺で最後を留める。さすがに一本では全部留められないので、先ほど珠晶が抜いた歩揺も、後頭部に留める。おそるおそる、珠晶は鏡を覗いた。
「・・・・驚いた」
蓬山風に髪を結い上げた珠晶がそこには写っていた。歩揺でまとめた部分にも一筋の乱れもない。
「・・・そういえば、あなたけっこう器用だったわね・・・」
不器用そうに見えるのでいつもはすっかり失念しているのだが、そういえば供麒は手先だけは妙に器用だった。 繕い物も機織も出来ると聞いて、珠晶は人は(人ではないが)見かけによらないと心底思ったものだ。
こんな鈍そうな麒麟が、自分より器用なのかと思うとなんだか無性に悔しい。
「・・・・なんだか笑いすぎて疲れちゃった」
珠晶は座ったまま後手に手をついて、真上を見上げる。
かろやかな春の風がきれいに結い上げた髪をなぶった。 供麒も並んで空を見上げる。
「もう、春の色ですね」
「そうね・・・」
何の気なしに供麒を眺めると、気配を察したように供麒も珠晶を見た。
「お似合いですよ」
にっこりと微笑む顔がなんだか憎らしくなって、珠晶はまた空を見上げる。
白い雲がゆっくりと流れてゆく。
やわらかい日差しを浴びながら、珠晶と供麒はしばらくそこで空を眺めていた。
〈 FIN 〉