光差す波間

作:央野マヨコ


「すいません。先ほどの堤税のところ、もう一度説明していただけますか?」
 おっとりした供麒の言葉に、眼前で税の報告をしていた官はわずかに眉をひそめた。
「この件に関しては、先日もご報告いたしましたが」
「ああ、すいません。私は物覚えが悪いみたいで・・・。もう一度説明していただけないでしょうか」
 すまなそうな供麒の言葉に、官はそれ以上言えずに目をそらして書類に目を落とす。
 その落ちつかない眼差しと、かすかに強張った頬に供麒はほんの少し不審を抱いたが、追求することはしなかった。
 疑うのは苦手だ。
 こうして官の報告を丁寧に聞き、周囲の声のひとつひとつに耳を傾けていれば、不正など起こらないはずだ・・と供麒は思っている。

『供麒は少し、人よりおっとりされているようじゃ。何事も慎重になさるよう心がけられませ。分からないことがあったら、何度でも聞かれませ。遠慮なさることはない。ご自分で納得がいくまで、聞くのですぞ』

 幼い頃、玉葉に言われた言葉を供麒は今でも守っている。
 供麒は再び、目を凝らしてその難解な書類に目を落とした。
 読みづらい字だな・・・そういえばここからの報告書はいつも・・と思いかけ、はっと我に返って書類に集中する。
 供麒は辛抱強い方だったが、やはり単調な報告を何時間も聞きつづけるのにはうんざりしてしまう。
 些細な質問をいくつも挟みながら聞くので余計時間がかかってしまうのだが、だからといってよくわからないまま聞き流すわけにもいかない。
 これが主である珠晶だったら、この三分の一くらいの時間で処理を終えてしまうのにと情けなくなるが、あいにく珠晶のような聡明さは持ち合わせてないので仕方がない。
 自分の取り柄は気が長いところなのだから、せめて少しでも丁寧に着実にこなすことが自分の本分なのだと思っている。


 数刻後、報告していた官がなにやら青ざめた顔で出て行き、供麒は指を組んで座ったまま大きく伸びをした。
 背中をそらしたまま数秒間目を閉じ、立ち上って窓に歩み寄る。
 窓際の隅には小さな扉があった。
 供麒は大きな体をかがめて扉をくぐり、露台に出た。
 途端、ふわりと潮を含んだ風が供麒の銅の髪をなぶり、供麒は微笑みを浮かべる。

 こうして、雲海の風に吹かれながら空を見るのが好きだった。
 ずっと薄暗い室内にいると、息がつまって憂鬱になるのだ。
 供麒のこの執務室も、以前はもっと奥まったところにあったのを、雲海に面した露台のあるこの部屋に変えてもらった。
 扉が小さいのはこの露台がほとんど装飾目的で作られているからで、事実、供麒などが身動きするのにやや窮屈に感じるほどである。
 珠晶は供麒が年中この狭い露台に出るのを知って、何度かもっと大きな露台のある部屋を進めたが、供麒は断った。
 何度も部屋を移すのは面倒な気がしたし、ここの露台から見る景色が好きだったのだ。
 悲しい時、苛立っている時、仕事に飽きた時、供麒はいつもここに来て空を見上げる。
 首を真上に向けて、ぼんやりと流れていく雲を見ていると、自分が空の一部になったようでとても穏やかな気持ちになれた。

 供麒は刺すような夏の光がさしこむ空を、薄目を開けて見つめる。
 単調な政務にうんざりしていた気持ちが、すっと楽になるのがわかった。
 太陽は眩しく、強い日差しにさらされた肌が熱く火照ってくる。

 自分の心が静まったのを感じ、供麒は雲海の水面に視線を落とした。
 ゆらゆら波打つその水面が透けて、凌雲山のふもとに広がる広州の緑が見える。
 緑の間にかすかに見える白壁は連檣の街か。

 ------今日も人々がやさしい気持ちでいられますように--------。

 供麒は誰に祈るともなしにそう祈る。

 ------この国が平和でいられますように。

 自分の中に刻みこむように、何度も繰り返す。
 雲海の水面に夏の強い日差しが反射し、きらきらと光った。


 供麒はもう一度空を見上げると、午後の政務を取るために房間に戻った。


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