恭国首都、連檣、霜楓宮---。
広大な宮の一角に、供王珠晶、そして供麒の住まう内殿がある。
「この、大馬鹿もの〜〜!!!」がっしゃん!
杯の砕ける音に、居並ぶ女御や奚【げじょ】たちが首を竦める。
また始まった・・・・と誰もが思うが、口には出来ない。
「あんたにはプライドってものがないわけ?よくも麒麟ともあろうものが花瓶なんて磨いてられるわね!」
「いえ、その・・汚れていましたし・・・」
「そんなの奚【げじょ】にでもやらせればいいでしょ!」
「あの・・・花瓶を磨いたりとか、ガラスを拭いたりとかするのってけっこう好きなので・・・」
大きな体躯を縮こませながら、困ったように供麒が微笑む。
「磨いてるうちに、曇ってたのが段々ぴかぴかしてくるのを見ているとうれしくなって・・・」
珠晶の苛立ちをよそに、のんびりほやや〜と笑う供麒の笑顔に珠晶のこぶしが震える。
居並ぶ女御や奚たちが、確実にやってくるであろう瞬間を予測して、気の毒そうに、そしてほんのちょっぴりわくわくして主従を見つめる。
「そんなに花瓶磨きが好きなら・・・・・」
珠晶が低い声でつぶやく。
「宝物庫の宝物磨きでもやってなさい!!!」
ばっち〜ん!!
「あ、主上・・・!」
快い音を響かせて去って行く珠晶を、供麒は慌てて追いかけた。
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供王の身に異変が起こったのは、その時からであった。
なぜか自室の花が枯れている。
飲もうとした茶に虫が入っている。
突然、内殿の猫に引っかかれる。
話していたら、突然口の中に虫が突っ込んでくる。
襦裙の袖が手が入らないように縫い付けてあった事もあった。
「ぜっっったい、おかしいと思うの」
珠晶は神妙な顔で宣言した。
やわらかな曲線を描いた頬の片方には、今は氷を入れた布を当てている。
階段で滑って、頬をしたたかに打ったのである。
「この3日間で4回よ?4回!それも全部何もないところで転んだの!おかしいと思わない?」
「はあ・・・・。」
対する供麒は、相変わらずぼんやりしている。
「これは偶然ではないと思うの」
きっぱりと珠晶がいうと、供麒は不思議そうな顔をした。
何もないところで転んだのなら、偶然なんじゃあ・・と思ったが口には出さない。
「と・・申されますと・・・?」
「嫌がらせよ!」
「・・あ、あの、でも・・・いったい誰が・・」
供麒の言葉に珠晶は考え込んだ。
「それなのよねぇ・・・。いったい誰なのかしら?何もないところで転ばせるなんて、普通の人間には無理だし・・・・・。だいたい、このあたしにケンカ売ろうなんて度胸のある人間が、この宮にいたかしら・・・?」
「はぁ・・・そうですねぇ・・。主上に嫌がらせなんて恐ろしい事をする人がいるでしょうかねぇ・・・。
こんなに恐いのに・・・。」
「なんですって!!!」
珠晶のきつい眼差しに、供麒は身を縮めた。
「いえ・・あの・・その・・」
珠晶は握り締めたこぶしを振り上げる・・そして何かに気づいたように動きを止めた。
「まさか・・・あんたじゃないでしょうね・・・」
「は?」
供麒はきょとんと珠晶を見上げた。
「そうよ・・・。良く考えてみれば辻褄は合うわ。
飲み物に虫が入っていた時は、確かあんたが私が叩き殺した蚊についてぐちぐち言ってた時だし、
口に虫が入ったのは、奚の荷物運びを手伝って壷を割った時だし、猫の時は・・・なんだったかしら?
とにかく、みんなあんたをひっぱたいた後の事だったわ。」
供麒は珠晶がなぜ自分をひっぱたいたのか覚えていない事を少し悲しく思ったが、黙っていた。
「使令を使えば何もないところで転ばすなんて簡単だし、だいたい、あたしをうらんでるのなんて、あんたくらいしかいないはずよ。だって、あんた以外に手を上げた事なんてないし、あたしの王様ぶりは完璧だもの」
「そ、そんな!!」
供麒はようやく事態を飲み込んで、青くなった。
「わ、わたくしが主上をおうらみしてるなど、あるはずが・・・。それは恨めしく思うときもございますが、主上に嫌がらせをするなんて恐ろしくて、とても・・・あ、いえ、その・・」
「わかってるわよ」
慌てれば慌てるほど、どつぼにはまっていく供麒に珠晶は冷たく言った。
「あんたにそんな度胸があるはずないもの。残念だわ。いい線いってると思ったのに・・」
供麒はなんとも言えない悲しそうな顔をする。
既にその瞳はうっすらとうるんでいた。
珠晶の目に、苛立ちがよぎる。
「だいたいねぇ!あんたがそうだから、こういうことになるのよ!もっとしっかりしたらどう?」
「は、はい、あの・・申し訳・・」
「そうやって、なんでも謝らない!!!」
珠晶はわなわなとこぶしを震わせる。
「も、申し訳」
はっと供麒が口をつぐむ。
ばっち〜ん!!!
「あ、主上!!」
内殿に、荒々しい靴音が響いた。
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そしてその日の午後・・・・・。
「もう、もう・・・・・・・絶対に許さない・・・・・!!!」
珠晶は低い低い声でつぶやいた・・・。
内殿は、やがて来る嵐を予知し、しんと静まり返っている。
「こ、こんな・・こんな・・」
紙を持った手がわなわなと震えた。
紙には大きく、流れるような美しい文字で、
「わたしはペチャ○イです」
と大書きしてある。
「く・・っ・・」
珠晶は紙を真っ二つに引き裂いた。
二つになった紙を更に細かくちぎり、供麒に投げつける。
「く〜〜や〜〜し い!!!!」
ボキッ!!と、さらに手近な筆をへし折る。
いつからそれが背中に張られていたのか分からない。
女御たちが、珠晶の怒りを恐れて誰も言おうとしなかったからである。
そして、誰がいつそれを貼ったのか、誰も見たものはいなかった。
「しゅ、主上・・あの、ただのいたずらですし・・・」
供麒の頬には既に赤い手形がついている。
ばか正直にも「その紙はどうされたのですか?」などと言ってしまったため、八つ当たりではたかれたのである。
「いたずらですむはずないでしょ!アンポンタン!!」
珠晶は奥歯をきりきりとかみ締めた。
「絶対に犯人を見つけてやるわ・・・・覚えてらっしゃい・・・・・!!」
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壷を磨く供麒。
女御と立ち話する供麒。
官にねぎらいの言葉をかける供麒。
奚の仕事を手伝う供麒。
書庫で悲しい物語に涙する供麒。
「・・・・・・・・・・・・・」
珠晶は今も、すっかり女御の愚痴の聞き役となっている供麒を見るともなしに見つめた。
犯人はきっと供麒を気の毒に思っている人間
、そうあたりをつけたはいいがちっともそれらしい人間は見当たらない。
と、いうより、供麒は霜楓宮の人間に大変好かれているので、みんな同じくらいにアヤシイのである。
供麒は相変わらず、真剣に女御の愚痴を聞いている。
もう2時間である。
遠目に見ても、供麒が時々袍の袖を目頭に当てているのが見て取れる。
珠晶はため息をついた。
それが麒麟の性分だと言う事は分かっているのだ。
民に哀れみをかけ、慈悲を与えるのが麒麟の役目。
わかってはいても、苛々してしまうのはどうしようもない。
だいたい供麒が、ひっぱたかれても張り倒されてもちっとも傷ついたそぶりを見せないのが悪いのよ。
珠晶は心の中で八つ当たり気味に毒づいた。
おまけにわたしがいくら叱っても、相変わらず同じ間違いばかりするし・・・。
でも、いくらなんでも怒りすぎかしら・・・。
珠晶は少し考え込む。
しかし・・・・。
「だめよ!」
珠晶は口に出してつぶやいた。
「わたしの貴重なストレス発散源なんだから。
だいたい供麒がいつまでたってもお馬鹿なのが悪いんだし」
瞳に決意がよぎる。
「絶対見つけてやるわ」
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そしてその夜・・・・・。
珠晶は夜中にふと目を覚ました。
なぜ目を覚ましたのか、自分でも分からない。
カタン・・・。
わずかな音がした。
珠晶ははっと見をこわばらせる。
誰かいる!?
息を潜めて様子をうかがう。
侵入者はひたひたと音もなく歩み寄り牀榻の入り口で足を止める。
何かがさがさと取り出す音がした。
珠晶はごくりと息を呑んだ。
「こ、この・・・!」
ばさりと、牀榻のとばり帳をかきあげて、飛び出す。
ひらり・・と目の端に真紅の ・・
披巾【ひれ】がたなびくのが見えた。
「え・・・・・」
珠晶は目を見開いた。
侵入者は、花のような残り香を残して消えていた・・・・。
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珠晶は、朝から政務そっちのけで考え込んでいた。
「おかしいわ・・・」
ポツリとつぶやく。
供麒は当惑したように眉をよせる。
侵入者の残した花の香りは、どうやら海桐花【とべら】の香りらしい。
供麒が断言した。
明かりを点けてみると、珠晶の沓【くつ】に生ゴミがぶち込んである。
そして女物の披巾【ひれ】・・・。
これは最上級の絹でできた上等のものである。
「
海桐花に、上等の披巾【ひれ】・・そして不思議な力・・・、と来たら・・・」
珠晶はカタン、と立ち上がった。
「出てきたらどう?どうせどこかで見てるんでしょ」
大きな声で言って、あたりを見回す。
ふわり・・・と花の香りがした。
ぼうん!と音がして、黒檀の卓が姿を消す・・・・そしてそこには-------。
「ほほほほほ・・!供王は気性の強【こわ】い方と見える」
「ぎ、玉葉様・・・・」
供麒が呆然と目を見開く。
現れたのは・・・、蓬山の女仙の長、天仙玉女碧霞玄君----玉葉だったのである。
「ごきげんよう、玉葉殿。いつからこちらに?」
「もう1週間ほど前になるかのう。恭国での麒麟の扱い。しかと見せてもらいましたぞえ」
「天仙ともあろうお方が他国の王宮をこそこそかぎまわるような事をするとは思いませんでしたわ」
「妾も王ともあろうお方が、まがりなりにも台輔にあのような無体をはたらくとは思わなんだ」
びしっ!と、玉葉と珠晶の間に火花が散る。
供麒はおろおろと二人を見つめた。
「あたくしが、自分の麒麟をどうしようと勝手でしょう?
蓬山には他国の王宮に口を出す権利なんてありましたかしら?」
「供麒は珠晶どのお一人のものではあられぬ。今のお言葉、
蓬山の女仙を敵に回すものととってよろしいか」
くっと珠晶は奥歯をかみ締めた。
蓬山を敵に回すのは得策ではない。
そもそも、蓬山の女仙は珠晶に対して好意を抱いていない。
あの日・・・初対面の供麒をひっぱたいた後の、女仙たちの敵意に満ちた眼差し。
そして蓬盧宮滞在中の、女仙たちの陰湿な嫌がらせはまだ覚えている。
「そういえば、蓬盧宮滞在中に女仙たちにいろいろ嫌がらせを受けましたが、
思い返してみると玉葉殿の嫌がらせにそっくりでしたわ。主に似るって本当ですのね。
それとも、嫌がらせの方法まで教育していらっしゃるの?」
「何とおっしゃられても結構。蓬山を敵にまわされるのかえ?」
珠晶はこぶしをふるふると震わせる。
「あ、あの、玉葉様・・・。わたくしは別に今のままで・・」
「供台輔はお口を挟まないでくだされ!」
「あんたは引っ込んでらっしゃい!!」
おろおろと言った供麒は、二人の声に首を竦める。
「わかりました・・・。玉葉殿のお言葉に従いましょう・・・」
珠晶は、屈辱にぶるぶると身を震わせた。
「供麒にたいして無体を働かないと約束してくださるか?」
「ええ・・・お約束します・・・」
供麒はあまりの成り行きに色を失っている。
「それでは、今日のところは引き下がるとしよう。
もしこのような振る舞いが続けば・・・生ゴミどころでは済まぬぞえ」
珠晶は次は襟元にゴ○ブリでも突っ込まれるのだろうか・・と恐ろしく思った。
供麒は天仙と王のやり取りにしては低レベルすぎるのではないか・・と思ったが口には出せなかった。
「では失礼いたす。 ほほほほほほほ・・・」
玉葉がエコーする笑い声を残して、窓から雲海へとダイビングする。
供麒は恐る恐る主を振り返った。
室内には相変わらず玉葉の笑い声がこだましている。
「く〜〜や〜〜し〜〜〜いいい!!!」
珠晶はいつものように供麒に腕を振り上げた。
はっと供麒が身を竦ませる。
しかし・・・。
がっしゃーーーーん!!ばきばきばき!!
珠晶は机にあった杯や筆を破壊しはじめた。
ほっと供麒が胸をなで下ろす。
珠晶のストレスはたまる一方であった。
-------------供王の受難は続く。
<fin>
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