微笑みの帝国

作 央野マヨコ


「これ以後、礼典、祭典、及び諸々の定めある儀式、病気、けが、葬儀などの場合をのぞき、無表情、しかめっつらを廃し、笑顔のみとする」
「主上・・・・・!」

 その日から、景麒の悪夢は始まった・・・・・。

「もう決めた」
 宰輔の制止に、王の返答はそっけない。
「そんなふざけた初勅があるかと怒る者がおりましょう」
「それがどうした」
 ふふん、と王は笑みを浮かべた。
 今にもあっかんべーと言いだしそうな顔である。
「・・・主上!」
「いつも怒ってばかりで、他人に当たることだけを憂さ晴らしにしている者のことなど、私は知らない」
 宰輔は絶句したし、諸官もあきれて口をあけた。
「そんな者のストレスのはけ口など私の知ったことではない。それよりも、人に 怒られたり、辛く当たられたりするたびに、壊れていくもののほうが問題だと、 私は思う」
「ですが」
 景麒は慌てて、口をはさんだ。
 こんなふざけた初勅が通るはずはないと思いつつも、胸騒ぎがとまらない。
 とにかく、これ以上王にしゃべらせてはいけないということだけははっきりしていた。
(早く、王のたわごとをやめさせなければ!)

「人はね、景麒」
 王は宰輔にいう。
 悟りきったようなその顔が、なぜだかひどく景麒を不安にさせる。
(何を言い出すつもりなのだろうか)
 不安に胸が高鳴る。
「誰かが怒った顔をしていたり、冷たい表情をしていたりするのをみると、自然にいやな気分になるものだ。笑う角には福来るというだろう。怒った顔や、無表情は、相手を不快な気分にさせ、その場の雰囲気を暗くするもののように感じる」
「しかしそんな初勅では示しが」
 景麒は必死に言い募った。
 この雰囲気は大変にまずい。
 なにしろ今回のことで、諸官は王に一目置いてい る。
 そんなことはないと思うが、もし万が一この初勅が通ってしまったら・・・。
 景麒はぷるぷると頭を振った。
 金波宮中の人間が、満面の笑顔を浮かべてさざめいている様子が浮かぶ。

 笑顔帝国だ・・!
 くらりと景麒は一瞬気が遠くなるのを感じた。 

『ほほえみの国』慶国。『スマイル』金波宮・・・。
 三流旅行代理店のパンフレットに出てくるような、無意味なキャッチフレーズが頭の中を乱舞する。
 ・・・この局面でこういったくだらないことを考えてしまうのが、景麒の景麒たるゆえんであろう。

「何も怒った顔をしたからと言って罰すると言ってるわけじゃない。肉親や友人が死んだ時に暗い顔をするのは当然のことだし、そんな場合までは禁じていない。ただいつもなるべく笑顔でいましょうと言ってるんだ」
「それはそうですが・・」
(丸め込まれてしまう!)
 あせりが、ますます景麒の頭を混乱させる。
 何か言わなければ・・、と思う気ばかりがあせって言葉が出てこない。

 このままでは慶が、笑顔帝国に・・!


「私は、慶の民の誰もに、笑顔の似合う素敵な民になって欲しい」
 言い放つ声は明確だった。
 目はうっとりと遠いかなたを見つめ、手は胸の前でしっかりと組み合わされている。そう、いわゆる夢見る乙女のポーズである。

「いつも他人を叱ってばかりで、しかめっ面をすることになれたものの末路は、梨耀の例をみるまでもなく明らかだろう。
 叱られ、八つ当たりされることになれた者の末路も、明らかなように思われる。
 人生は辛いことばかりじゃない。いやな思いをするために生まれるのじゃない。
 他者に虐げられても屈することのない心、災厄に襲われても挫けることのない心、辛いことがあってもめげず、どんなときも笑顔で、 ・・・・私は慶の民にそんな不羈の民になって欲しい。
 怒りや悲しみを我慢できる強い民に。
 そのためにはまず、他者の前でいつも笑顔でいることから始めて欲しい」

言って王は諸官を見渡す。

もはや、景麒が口をはさむ隙はない。

「諸官は私に、慶をどこに導くのかと聞いた。これで答えになるだろうか」
 諸官の返答はない。視線だけが王に向かう。
「その証しとして、しかめっ面、無表情を廃す。これをもって初勅とする」

 ・・・・ストレスで、気でもふれられたか、主上! 
 叫びは、景麒の胸の奥でのみ発せられることになった・・。

 

 


「ふう・・・・・」 
 景麒はその日何度目かのため息をついた。

 王があのふざけた初勅を出してから三日め。
 景麒はほとほとうんざりしていた。
 あの日以来、王も、諸官も、女官も、あう人あう人、景麒の顔をみると口うるさく景麒の無表情を咎める。

「はぁ・・・」
 ため息ももれようというものである。
 と、遠くの方から人の声が聞こえ、景麒は慌てて柱の影に隠れた。

(なぜだ!なぜ私がこそこそと隠れなければならないのだ!!)
 ふつふつと怒りがこみあげてくる。
(おのれ!)
 景麒は拳を固く握り締める。
 どう考えても、これは王の景麒に対する嫌がらせだとしか思えない。

(まだ私が無理矢理こちらに連れてきたことを根にもっておいでか!)
 諸官に向かって言い放った後、王が景麒を見てにやりと笑ったのを景麒は見逃さなかった。
(初勅を利用して仕返しするとは!)
 抗議しようにも、諸官も女官もあの日以来しっかり王のシンパである。どう転んでも景麒に勝ち目はない。

(だいたい私が笑ってもろくなことにはならないというのに・・・)
 景麒の胸に苦い記憶がよみがえる。
 いつのことだっただろうか。景麒にだって、なるべく笑顔にしようと思ったこ とくらいあるのだ。
 よかれと思ってやったことだったが、周りの人間にやたらと心配され、それどころか笑顔だとわかってもらえずに顔面神経痛と勘違いした人によって黄医に担ぎこまれたこともある。
 また、うっかり微笑んだがために、自国の王を惑わせ、国を傾けてしまったことすらある。

 (その私に笑顔だとっ!!)
 景麒は拳を握りしめた。

 と、その時・・、

「台輔、見ーっけ!」
 明るい声とともに、ぐいっと袖を引かれて景麒は体をこわばらせた。
 振りかえると、景王陽子の悪友コンビの片割れ、鈴がにこにこ笑っている。
「見つけましたわ、台輔。主上がお呼びでしてよ」
「わかった、すぐに・・・」
 しぶしぶ答えて、景麒はあたりの様子をうかがった。
 他に、人のいる様子はない。
 景麒はほっと胸を撫で下ろした。

 景麒は陽子の友人である、祥瓊と鈴が苦手だった。
 苦手は苦手でも、鈴はまだおっとりしていて話が通じるが、あの祥瓊とかいう少女は・・・。
 顔を思い出しただけでため息がもれる。
 油断するのはまだ早い!鈴の影には祥瓊あり。そのうちどこからわいてくるか・・・。

「こんな所ににいらっしゃったんですの?台輔」
「ひっ!」
 景麒は文字どおり飛び上がった。
 祥瓊がにっこりと妖しい微笑を浮かべて景麒を見つめている。

「今日こそは、台輔をお連れするように仰せつかっておりますの。さぁ、参りましょう」
「後で行くから、先に・・・」
「だめです」
 祥瓊が、ずいと景麒の前に身を乗り出した。
 反射的に景麒は二・三歩後ずさる。

「そうおっしゃって、昨日もいらっしゃいませんでしたよね」
「あれは・・・」
「台輔をお連れするように、私たちが、主上に、仰せつかっておりますの」
 祥瓊は、婉然と微笑んだ。
 景麒の敗北である。
 景麒は深くため息をついた・・・。

 

 


「やっと来たな、景麒」
 祥瓊達に案内されて、金波宮の一室にたどり着くと、そこはたくさんの人でごった返していた。
「これは・・・、いったい何の騒ぎですか?」
 たくさんの、官や女官達の間に混じって、よく見知った顔がいくつもある。浩瀚、桓魍、柴望・・・、遠甫までそろっていることが、景麒を不安にさせる。

「いいからいいから。こっちだ」
 陽子に案内されて、部屋の奥にいくと、人々の視線がいっせいに景麒に集まった。
(・・な、何だ?)
「さぁ、ここに座れ」
 言って陽子は、壁際にある椅子を指差した。
 何やら高価そうな、立派な椅子である。椅子の後ろにある青一色の屏風が、ますます景麒を不安にさせる。

「主上・・・、これはいったい?」
 陽子は答えない。引きずるように景麒を連れていくと、強引にその椅子に景麒を座らせる。
「絶対そこを動くなよ。命令だぞ」
 念を押すと、後ろにいた女官に合図する。
 やがて、大勢の人々が左右に割れ、何やら大きな道具を持った、一人の男が現れた。

(あれは・・・・)
 景麒にも見覚えがある。
(確か・・・宮廷絵師!)

「景麒!」

 はっと腰を浮かせかけた景麒に、陽子の声が飛ぶ。
「私の命令が聞けないのか?」
 にこにこと楽しげに微笑む陽子に、景麒は言い知れぬ不安を覚える。

「こ、これはどういう・・、なぜ宮廷絵師が」
「今度、初勅推進ポスターを作ることにしたんだ」
 陽子は機嫌よく答えた。
「ぽすたあ・・・ですか?」
 きょとん、と景麒が問い返す。
「これですわ、台輔」
 祥瓊が二尺四方ほどの紙を広げる。

『ほほえみの国、慶国。
 ----笑顔、それはしあわせへの第一歩----』 
 陳腐なタイトルの下に、恥ずかしいキャッチフレーズが踊っている。

 くらり、と景麒の頭の中をめまいが襲った。
「とりあえず字の方はできてるんだけど、まだ絵の方ができてなくて・・」
 ちらりと陽子が、景麒を見る。
 何やらいやな予感に、景麒の胸が高鳴った。

「だからこのポスターに、景麒の笑っている絵を載せようと思って」
「ち、ちょっと待ってください。なぜわたしが・・」
 景麒は慌てて口をはさんだ。
 冗談ではない。
 初勅を出した陽子こそがやればいいのだ。
「王になったばかりで顔もよく知られていない私より、顔のきく景麒の方がいいだろう」
「そんなっ!主上の初仕事なのですから、主上こそが・・」

「麒麟は国の象徴と申しますわ」
 祥瓊がきっぱりと言い放つ。
「普段から笑う陽子より、めったに笑わない台輔の笑顔の方が、民に初勅の威力がわかって効き目があると思うの」
 おっとりと、鈴が駄目押しの一言を放つ。
 三人の見事な連携プレイに、景麒が太刀打ちできようはずがなかった。

「と、いうわけだ。・・・笑え」
「は?」
「笑えと言ったんだ。・・まさか王の初勅を広めるためのポスターに、台輔ともあろうものが協力できないなどと言うつもりはないだろう?」
にっこりと、陽子が悪魔の微笑を浮かべる。
ぐっ、と景麒は言葉につまった。

 陽子の、祥瓊の、鈴の、そして部屋に集まったたくさんの人々の期待に満ちた視線が景麒につきささった。
 なすすべもなく、景麒はうきうきと自分を見つめる陽子をにらみかえした。

(失道してやるっ!)

 景麒は固く固く、決心した。

(覚えていろっ!いつか絶っ対に、失道してやるっ!!)

 失道するもしないも、全ては王次第だということに、この時景麒は気付いていなかった・・・。

 

<<終わり>>