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雨降りの庭
央野マヨコ
初夏の生暖かい風を切って、三頭の騎獣が上空から下降してきた。
漣国、重嶺山----------。
その中腹にそびえる大きな門の前、広大な岩棚に駮が次々と着地する。
廉麟は、体重を感じさせない身軽さで駮から飛び降り、労うようにその背を叩いた。
「おかえりなさいませ、台輔」
門の傍らにある詰所から兵卒が駆け寄ってきた。
雨潦宮に直結する禁門だというのに、そこを警備する兵卒はたった一人しかいない。
「留守中、なにか困ったことはなかった?」
「私は特に聞いておりませんが」
そう、と廉麟は微笑む。
「駮は私が預かりますから、主上にご挨拶なさってきてはいかがですか?主上も首を長くしてお待ちでしょう」
廉麟に同行していた大僕がからかうような笑みを浮かべて提案した。
「・・お願いしてもいいかしら」
「勿論ですとも」
大僕はおかしそうに笑う。
私はそんなにそわそわしてかしら、と廉麟は少し恥ずかしくなる。
大僕に駮を預け、廉麟は禁門をくぐって雨潦宮に入る。
路寝に足を踏み入れると官が駆け寄ってきた。
「おかえりなさいませ、台輔」
ほっと安堵したような官の表情には、台輔の無事を喜ぶ気持ちとは別に、なにか別の安堵が同居しているように見えた。
------------困った方ね・・・・。
廉麟の主が、また何か官を困らせるようなことをしたのだと廉麟は確信する。
「ただいま。留守中変りは?」
「ございません。・・しかし・・」
「また主上がなにか始められたのね」
言いよどむ官吏の表情に、廉麟は苦笑する。
「主上にご挨拶してきます。留守中の報告は明日聞くわ」
言い置いて、廉麟はまっすぐに路寝のさらに奥、後宮へと向かう。
後宮を抜けてさらに歩くと植え込みの向こうにぼんやりと王気が見えた。
自然と、廉麟の歩みが速くなる。
良く手入れされた畦道を辿り、青々と揺れる麦畑を越えると、整然と植えられた木々の間にのらぎ袍子に身を包んだ人影が見えた。
身の内からなにかあふれ出てくるものがあって、廉麟は思わず人影に走り寄った。
「主上!」
声をかけると、人影は振り向いてにっこりと笑う。
「ああ。おかえり、台輔」
「ただいま戻りました」
軽く膝をかがめて拱手【えしゃく】すると、世卓はさらに目を細める。
なんだか無性にうれしくなって、廉麟も微笑んで主を見上げる。
「昭州の様子はどうだった?」
「堤の建設は無事に進んでいるようでした。今年は雨も良く降りましたし、豊作になりそうです」
「そう、それはよかった」
世卓は穏やかに微笑む。
日に焼けた肌は浅黒く、農作業で鍛えられた体は無駄なく引き締まっているのに、その顔つきはどこか学者然としている。
「二週間もの長旅で疲れたろう?今日はゆっくり休むといい」
初夏の日差しを浴びて、世卓の顎から滴った汗が光った。
世卓には太陽の光が良く似合う、と廉麟は思う。
「少し、ここにいてよろしい?」
「・・・もちろん」
世卓は破顔して、再び樹木の剪定にとりかかる。
廉麟は、畔の脇に植えられた楓の大木によりかかって、世卓の後姿を見つめた。
ぱちり、ぱちり、と規則正しい鋏の音が響く。世卓の鋏使いには迷いがない。
「主上」
「なんだい?」
「また駕騨を困らせるようなことをなさったんでしょう?」
「相変わらず台輔は耳が早いね」
世卓は手を止め、振り向いて苦笑する。
「今度は何をなさったの?」
廉麟はさらに問い詰めた。世卓はばつが悪そうな顔をする。
「入り口近くにたい肥置き場を作りたいって言ったら、とんでもないって叱られたよ」
「まぁ・・・」
廉麟はあきれて、目を見張った。
畑の入り口といったら後宮のすぐ裏だ。
ここに畑を作るだけでも官の大反対にあったのに、そんな所にたい肥置き場まで作ろうなどとは、狼狽する官の気持ちも肯ける。
「この王宮は主上だけのものではないのよ。次の方がお入りになったとき、後宮がたい肥臭かったらお気の毒でしょう?主上は気になさらないのかもしれないけど、気にされる方だってあるんですから」
「うん。駕騨にもそう言われたよ。ごめんね」
諌める口調の廉麟に、世卓は困ったような顔になる。
くすり、と廉麟は微笑んだ。
「あまり官を困らせないでくださいまし」
「気を付けるよ」
にっこり笑って、世卓はまた枝の剪定にとりかかる。
------------本当に困った方。
そう思いながらも、廉麟は何の心配も抱いていない自分を知っている。
世卓は王宮のしきたりになじまずに型破りなことばかり言い出すが、本当に必要な政務は決しておろそかにしない。
物腰はやわらかく万事控えめだが、かといって萎縮する風もない。
そして、廉麟は世卓のそのおっとりとした物腰の影に驚くほどの頑固さと、意思の強さが潜んでいることを知っている。
------------この国はきっと、いい国になる・・・・。
そんな想いが廉麟にある。
「あ・・」
ふと、世卓が鋏を止めて天を仰いだ。
つられて廉麟も薄曇りの空を眺める。
「雨が・・」
ぽつり、と廉麟の肩に水滴が落ちた。
続いて、首筋に、腕にと雨粒は次々と落ち、見る間に勢いを増していく。
「台輔。風邪を引くよ。早く向こうの四阿【あずまや】に」
「主上は・・」
「俺もすぐいくよ、早く」
急かされて、廉麟はあわてて四阿に走る。雨はまたたくまに土砂降りになった。
少し遅れて世卓が飛びこんできた。
世卓はうれしそうに雨が大地を叩くのを見つめる。
袍子はすっかり水浸しになり、足元からはひっきりなしに水滴がしたたっている。
「これで稲が育つ」
満足げに呟く世卓を、廉麟は微笑んで見つめる。
「主上、濡れた衣服をお召しのままではお風邪をひいてしまうわ」
「俺は大丈夫。台輔こそ濡れなかった?」
「ええ。私はほとんど濡れてませんもの」
廉麟は微笑む。主の気遣いがうれしかった。
黒い雲に覆われた空は暗く、激しい雨の音が四阿の屋根を叩く。
空気は濃密な雨の匂いを含んで重い。
四阿の周囲には瞬く間に水流が生まれた。
「・・・困ったな。いつになったら止むんだろう」
世卓がのんびりとぼやいた。
言葉とは裏腹に、その表情からはちっとも困った様子が感じられない。
「・・・思いきって走ってみましょうか?」
「この土砂降りの中、台輔を走らせたら俺はまた駕騨に怒られてしまうよ」
世卓は顔をしかめて肩をすくめる。
廉麟はくすくす笑った。
「うーん。しばらく止みそうにないなぁ。・・・しょうがない。俺と台輔が帰ってこなかったら、誰か傘でも持って迎えに来るだろう」
世卓はひとつ伸びをして、四阿の長いすに腰を下ろす。
にっこり笑って、廉麟にも隣に座るようにうながした。
「もし急ぐ用があるんなら、俺がひとっ走り行って来てもいいよ。きっと時間かかると思うし」
「いえ、私は・・・」
言って廉麟は微笑んだ。
「私は主上のお傍におります・・・」
世卓は少し面食らったように首をかしげ、やがて困ったように笑った。
「うん。じゃあ、俺もここにいよう」
見上げた主の顔は、少しはにかんだように優しかった。
廉麟は幸福な気持ちで、主と並んで畑に雨が落ちる様を眺める。
雨は当分、やみそうになかった。
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