茜色の庭園

作:央野マヨコ

 

 

 それは、もう何回、何十回と繰り返された言い争いのはずだった。
 それなのに、どうして今日に限って、こんなに耐えがたい気がしたのかわからない。
 追いすがる官吏の声、困惑した供麒の顔、なにもかもから逃げ出したかった。


 表情を強張らせ、まっすぐに前に視線を据え、珠晶は早足で内殿を出る。
 広い広い回廊を抜け、咲き乱れる庭園の花々の間を縫って、周囲から人の姿が消えるとようやく珠晶は息をついた。

 眩しさに目を細めながら、空を見上げる。
 雲ひとつない青空は、冴え冴え澄んで果てがない。

 ぼんやりと、珠晶は空に見惚れる。
 感情のどこかが麻痺したように鈍かった。
 何も考えず、ただ空だけ見つめているのは心地よかった。


 ひゅるると鳴く鳥の声が空をよぎり、珠晶は一瞬の放心から我に返った。
 再び歩き出すとくらりと立ちくらみがした。珠晶は額に手を当て、ちらちら斑点がよぎる視界の中、どこか縋るところを探す。
 庭園の片隅に、葉のよく茂った大きな樫の木があった。
 珠晶は危うい足取りで歩み寄ると、崩れ落ちるようにその根元に膝をついた。
 太い幹に背を預けて目を閉じていると、すぐに立ちくらみは治まった。
 珠晶は涼しい樫の木陰で、そのまましばらく花々の咲き誇る庭園を眺める。
 ひゅるる、ひゅるると、先程の声がまた鳴いた。
 見上げると、2羽の茶色の鳥が空を舞っている。よく見るとそのくちばしだけが赤い。
 鳥は花々の間にわずかに覗く、緑の葉を茂らせた丈の低い木に実る真っ赤な実を狙っているようだった。
 あの木は、昔私の家の庭にあった・・・・・。
 珠晶はもうあまり思い出すことのなくなってしまった、連檣の自分の生家を思い出す。


「王様がこんなところで休憩かい?」
 突然、聞き慣れた声が響き、珠晶はびくりと肩を震わせた。
「おや失礼。驚かせてしまったね」
 にっこりと微笑むその顔は若い。老獪な物腰に人なつこい口調。
 奏国の第二太子、卓郎君利広である。彼はまた、希代の若さで王位についた珠晶が、その胸のうちをあかせる数少ない友の一人でもあった。
「利広・・!いつ来たの?」
 半ば腰を浮かせて、珠晶はすらりとした長身を見上げる。
「ついさっきだよ。供麒に聞いたら庭園にいるようだっていうからね」
 供麒の名前を聞いて、わずかに顔を曇らせる珠晶の様子に気付いたのか気付かないのか、
「座っていい?」
 利広は半ば土が剥き出しになった芝生に手をついて、珠晶の横に腰を下ろす。
「ふふ。珠晶がこんなところに座ってるなんて珍しいね。何かあったのかい?」
「供麒からなにか聞いたんでしょ」
「・・・また供麒とケンカしたんだって?」
 一瞬の沈黙のあと、利広は悪びれずに珠晶の顔を覗きこむ。
 まったくこれだから油断できない・・と珠晶は思う。
 いつも穏やかで声を荒げることすらないが、利広のその笑顔の奥に決して情に溺れることのない冷徹さが潜んでいることに、珠晶は気付いている。 
 頼り切ることを許さない厳しさが、利広にはある。

「ケンカっていうか・・いつもの言い争いよ」
 珠晶はうつむいて、膝をひきよせた。
「琶昭川【はしょうせん】の上流に貯水地を作るっていう計画があって、そこに住む民にも移ってもらわないと いけないんだけど、それに供麒が反対して、後はいつも通り」
「いつも通りなのに、珠晶は一人でこんなところにいるのかい?」
「それは・・・」
 珠晶は額を膝に預けて、日差しに透ける襦裙の布地の模様を内側から眺める。
「供麒の顔を見ていたくなかったから・・・」
 朱色の襦の表地が光に透けて、視界は赤くぼんやりと明るかった。
 珠晶は見るともなしにその表地の豪奢な金糸の刺繍を見つめる。
 自分の言葉にうなだれる供麒の顔を見ていたくなかった。
 だから、内宮を出て、こんなところに逃げた。

「私、本当は供麒のことが嫌いなのかも」
 ぽつり、とつぶやくと、利広が意外そうに身じろいだ気配がした。
「それは穏やかじゃないね。いったいどうしてそんな風に思うんだい?」
「だって・・」
 珠晶は肩を抱いた手のひらに力を込めた。
「・・・苛々するんだもの。供麒がやみくもに民を庇うのを見ると、すごく腹がたってひっぱたきたくなるの。 何度道理を説いても直らないし」
「そりゃあ、彼は麒麟だからねぇ。こうするしかないんだから哀れむなって言っても、無理なんじゃないかな」
「それはわかるけど・・・」
 珠晶は唇を噛む。
「供麒はいつも『哀れだから』『かわいそうだから』って言う。でもそんなこと私だってわかってる。私だってちゃんと民の気持を考えてる。でもそれが一番いい方法だから、それ以外に方法がないから、私は言ってるのに・・・」
「彼だって悪気はないんだよ」
「悪気がなければ何を言ってもいいの?私だって、本当は供麒の言う通りにしたい。でも供麒の言う通りにしてたら、あっという間に恭は傾いてしまう・・・。」
 膝を抱いた腕に力が込もり、太腿に爪が食いこんだ。
「なんだか供麒といると、自分がすごく薄情で意地悪な人間になった気がするの。私は精一杯のことをしてるのに、供麒はいつも私を責める。供麒があんなふうに私を責めるから、官吏だって私を薄情で厳しい人間のように思うと思うわ。だから、私は供麒が嫌い」
 両腕に顔を埋めた珠晶の背を利広はそっと撫でる。
「珠晶、王たるものには常に孤独がつきまとうものだよ。だから天は、王に麒麟を下した。決して裏切ることのない、やさしい獣をね。その哀れみが、時には王を追い詰めることもあるけど、彼らはただ、本能に忠実なだけだ。麒麟を憎んではいけない。珠晶が、不幸になるよ」
 珍しく、真摯な口調だった。 しかし珠晶は、その言葉にどうしても肯くことが出来ずに唇を噛む。

 利広にはわからない。

 珠晶は強くそう思い、拒むようにいっそう強くひざを抱える。
 利広は困ったように二言、三言、珠晶に声をかけ、返答がないのを見て取るとあきらめたように腰を上げた。
「じゃあ珠晶、みんな心配してるから、遅くならないうちに帰っておいで。私は明日までここにいるから」
 草を踏む音が遠ざかって行き、また辺りは静けさに包まれた。
 珠晶は顔を上げて、空を仰ぐ。
 利広にはわからない・・・・。
 ずるずると抱えていた膝を伸ばして、後ろ手に手をつく。

 ひたすらに哀れみをつきつけてくる麒麟という存在。
 苛立ちを抑えきれずに供麒を叩く時、私はきっと供麒を憎んでる・・・と珠晶は思う。
 たとえ一瞬で消えてしまうものであっても、その一瞬の憎悪を、その暗い感情の感触を、珠晶は忘れることが出来ない。
 供麒は優しい。誰の前でも穏やかで、哀れみを失うことがない。
 珠晶が怒鳴っても、叩いても、供麒は決して怒らない。ただ悲しそうにうなだれて、珠晶を見つめるだけだ。  供麒の中には、醜い感情など存在しないのかもしれない。

 いっそ供麒が怒ったり、憎んだりしてくれればどんなに気が楽だっただろうと珠晶は思う。
 供麒に怒りをぶつけるほど、珠晶は自分の心の狭さを思い知らされる。
 そんなに民を哀れむなら、なぜその前に珠晶を哀れんでくれないのだろう。
 なぜ珠晶の決断の、その痛みを和らげてくれないのだろう。
 王のものだと、王のために在るのだというのなら、なぜ自分の味方をしてくれないのかと、そう思ってしまう自分の甘えを見せつけられる。

 -------------最低。
 いつもの自己嫌悪が頭をもたげてきて、珠晶は奥歯をかみ締めた。
 麒麟の哀れみは王のためのものじゃない。
 王を諌め、王に仁道を施させるために天が与えたものだ。
 それなのに、その哀れみをなぜ自分に向けてくれないのかと思うなんて。

 やつあたり、なのかしら。
 子供が、わがままを聞いてくれない両親に大嫌いと叫ぶように、私は私の気持ちを思いやってくれない供麒に腹を立ててるだけなのだろうか。
 珠晶は自分に問い掛ける。
 でも、それならあの生々しい感情はなんなのだろう。
 決して裏切らないと、絶対の忠誠を誓っておきながら、決して自分の言いなりにならない麒麟がひどく腹ただしかった。
 その存在自体で、人の醜さをみせつけてくる麒麟が憎らしかった。
 本当は、私だって憎みたくない・・・。
 たったひとりの、決して裏切らない半身を憎むのは辛い。だから、憎ませる供麒がいっそう憎らしかった。
 -------------大嫌い。
 珠晶は強く思い、そしてそう思ってしまう自分に嫌悪感を抱く。

 珠晶はため息をついた。出口のない迷路に、自分が迷い込んでしまったのがわかった------。








 ふと、視界に良く見知った色彩があるのに気づいて、珠晶は視線を向けた。
 特徴的な銅色の鬣を持つその麒麟は、どうやら珠晶の様子を見守っていたようだった。
 目が合うと、ほっとしたように笑んで、珠晶に歩み寄る。
 傾き出した日差しを受けて、銅の髪が赤く透けた。見上げるほどの体躯なのに、相変わらずこの麒麟はまったく足音を立てない。

「いつからそこにいたの?」
 どんな顔をしていいかわからず、珠晶は強張った声で問いかける。
「つい先程です。あの・・・考え事をしてらっしゃるようだったので・・」
 困ったような笑みを浮かべて、供麒は主の顔を見下ろす。主の機嫌をうかがうような、その眼差しがひどく癇にさわった。
「近くにいたんなら、声くらいかければいいでしょう?こっそり見てるなんて、不愉快だわ。」
 投げつけられる声に、供麒が身を強張らせる。しゅんとうなだれる様子に、いっそう苛立ちがつのった。
「私のことは構わないで。あっちに行って!どうせその辺に警護の兵だっているんでしょう?あんたに心配してもらわなくても、一人で帰れるわ」
「ですが・・・・・」
 供麒は困惑したように言葉を返す。珠晶がどんなにきつく叱っても、この麒麟は王に対して物おじする様子を見せない。
「いいからさっさと行ってちょうだい!あんたといると苛々するのよ!」
 珠晶は言い放って、強く自分の膝を引き寄せた。膝の間に頭を埋めて、両耳をふさぐ。供麒の顔を見たくなかった。供麒の声を聞きたくなかった。そして、自分の顔を、見せたくなかった。
 自分はきっと、醜い顔をしている・・・。

 供麒は数瞬、珠晶の傍らに立ち尽くし、やがてかすかに吐息をもらした。
 背筋を強張らせて、珠晶はその供麒の気配に耳を済ます。
 供麒になんて、どう思われたってかまわない。
 そう思いつつも、珠晶は供麒の気配から気をそらすことができない。
 しゅるしゅると衣擦れの音がした。ふわりと珠晶の首筋に空気が当たり、なにかやわらかいものが珠晶に掛けられた。
「失礼を・・・」
 そっと供麒が呟き、遠慮がちな腕が、珠晶に掛けられた布地の端を直す。
 驚いて、珠晶はわずかに身じろぎする。馴染んだ香の匂いが珠晶の鼻をくすぐった。

「いくら暖かいとはいえ、もう夕暮れです。せめてこれを・・・」
 言って、また黙る。逡巡するかのように、何かを言いかけては黙り、やがて衣擦れの音がして、供麒が珠晶の  傍らに膝をついたのが分かった。
 供麒ががさごそと、何かを取り出した気配がした。
「・・・主上、あの、もう冷えてしまったかもしれませんが、その・・、これは蓮州の民がぜひ主上にと持ってきたものです。・・・・そんな気分じゃないかもしれませんが、よかったら・・・」
 かさりと音がして、珠晶の傍らに何かが置かれる。
 供麒は珠晶の返事を待つかのようにしばらく珠晶の傍らにただずみ、やがて諦めたのか立ち上がった。立ち去る供麒の衣擦れの音に、珠晶はようやく顔を上げて傍らの包みを手に取る。
 白い半紙に包まれたそれは、幾分湿り気を帯びていた。半紙を開くと、竹の皮で包まれたさらに小さな包みが出てきた。
 珠晶はがさごそと、湿った竹の皮を開く。
 
 珠晶は唖然と、その握りこぶしほどの大きさの、白くて丸い塊を見つめた。
 -----------呆れた。
 知らず、ため息がもれる。珠晶は脱力して樫の幹によりかかった。
 それはつやつやと丸い、二つの大きな握り飯だった。もとは球形だったのだろうが、、握り飯同志がくっつき、つぶれていびつな形に歪んでいる。
 ・・・・何考えてるのかしら・・・・・。
珠晶は天を仰ぐ。
 いったいどこの世界に、飛び出した王に握り飯を持って迎えに行く麒麟がいるというのだろう。
 ----------私が、馬鹿みたいじゃない。
 珠晶はそのいびつに丸い、白い塊を見つめる。どんな不器用な女御だって、これよりましな握り飯を握るに違いなかった。

丸い、握り飯がふたつ。
 
 珠晶は落とさないように丁寧に握り飯を包みなおし、供麒の襖(上着)をくしゃくしゃと乱暴にまとめると、走り出した。
 庭園の丈の低い木々の間に、うっすらと橙に染まった太陽が見え隠れする。
 供麒の襖は半分に折ってもまだ引きずるほど長く、すぐにずるずると垂れてくるそれを何度も抱えなおしながら、珠晶は走る。
 呼吸は水に溺れたかのように苦しいのに、夕方の涼やかな風が火照った肌に気持ちよかった。
「・・・供麒っ!」
 珠晶は庭園の入り口でようやく供麒の銅の鬣【たてがみ】を見つけ、叫んだ。
「・・供麒っ!!」
 庭園の木々から頭一つ分飛び出た、長身の影がはっと振りかえる。
「主上・・」
 自分に向かってまっすぐに走ってくる主を認め、供麒は一瞬、うれしそうに微笑む。供麒は私に会うといつも嬉しそうな顔をする・・と珠晶は思う。

 供麒は駆け寄ってきた珠晶の目を覗きこみ、その目に先程の苛立ちがないのを認めると、安心したように微笑んだ。
「どうかなさいましたか?」
 珠晶は供麒の前で、ようやく足を止めて荒い息をつく。
「あ・・・」
 言いかけて、珠晶は口ごもる。衝動的に供麒を追いかけてきたものの、いざ供麒を前にすると何をいっていいかわからなかった。
「これ・・・」
 珠晶は、うつむき加減に供麒の前に包みを差し出す。
「なんで、こんなものを持ってきたのかと思って・・・」
「ああ」
 珠晶の言い訳のような言葉に、供麒は納得したように微笑んだ。
「主上は一昨年、漣から砂地でも育つ稲をいただいたのを覚えてらっしゃいますか?それを里祠に願ったでしょう?蓮州では、あの稲のおかげで例年の三倍の収穫だそうです。蓮州の民が、主上にぜひ一番に食べていたきたいって持ってきたんですよ。」
「・・・ああ」
 珠晶はその珠晶は灰色に乾いた田畑を思い出す。
「・・・そう、あれからもう二年になるのね・・」
 蓮州は領地の三分の一を轟々と風が唸る砂漠に覆われ、わずかな田畑さえも風で飛ばされた砂が降り積もる痩せた土地だった。
 珠晶は長い間、乾いた砂地でも育つ乾燥に強い稲を捜し求め、各国に親書を送り、ようやく一昨年漣から条件に合う稲が届いたのだった。里木に願い、各地の里祠に卵果がついたのが去年。
 はじめての、収穫だ。
「膳夫に言って、すぐに炊いてもらったんです。主上はきっと、喜ばれると思って。」
 ふわりと微笑んで、供麒は珠晶の顔を覗きこんだ。
「民はとても感謝してました。主上に直接お礼をいえないのをとても残念がってましたよ」
「そう・・・」
 呟いて珠晶はその包みを眺めた。尖っていた気持ちが、ゆっくり溶けていく気がした。

「・・・これ、ありがと・・」
 珠晶は思い出して、ずっと左腕に抱えていた襖を供麒に返す。
我ながら、素直な声が出たと思った。
「もうよろしいですか?」
 供麒は微笑んで、襖に袖を通す。
 乱暴にたたまれた襖はあちこちに皺が寄っていたが、供麒は気にする風もない。
 珠晶はそんな供麒をじっと見つめる。
「供麒、あなたいま時間ある?」
 ふと、思いついて珠晶は問いかけた。
「は?はい。今日はもう何の予定も・・・」
 戸惑ったような供麒の言葉に、珠晶はかすかに微笑む。
「じゃあ、あそこの四阿【あずまや】でこれを一緒に食べない?」
 供麒は驚いたようだった。一瞬目が見開かれ、やがてやわらかく細められる。
 供麒は心底からうれしそうに微笑んだ。
「はい!!」
 

 



 四阿【あずまや】は夕日を浴びて赤く染まっていた。珠晶は中に入ると、長椅子に腰を下ろして供麒をうながす。
 供麒も長身をかがめて桟をくぐり、、珠晶の隣に腰を下ろす。珠晶は膝の上で、がさがさと包みを開いた。
「・・・海苔がないと食べにくいと、思うけど」
「あ・・。も、申し訳・・」
「別にいちいち謝んなくてもいいわよ」
 珠晶は竹の皮を中央から二つに裂き、握り飯をくるんで供麒の方に差し出した。
 視線は上げなかった。なんだか気恥ずかしい気がしたのだ。
 残った竹の皮で苦心してもう一つの握り飯をつつむ。いびつな形の握り飯は包みにくかった。
 珠晶は自分の握りこぶしほどもある、その大きな塊にかぶりついた。
 握り飯は冷えて、少し固かった。
 なつかしい、味がした。
「・・・おいしい」
 ぽつりと呟くと、隣で供麒も握り飯にかぶりついた。王に一番最初に・・と言った蓮州の農民の言葉を律義にも守っていたらしかった。
 無心に握り飯をほおばる供麒の様子を見るともなしに眺めながら、珠晶はようやく、ずっと胸の奥につかえていた重い塊が流れていくのを感じた。
 ---------何も、考えないようにしよう。
 ほんのりと甘い米粒をかみ締めながら、珠晶は思う。
 私は確かに、供麒の鈍感さと、その悪意のない無神経さにどうしようもない苛立ちを覚える。時折憎しみさえ感じことがある。
 でも同じように、私は供麒の裏表のない素直さと、どんな時でもまっすぐに自分に向かってくる好意と信頼に救われているのではないだろうか。
 -------「珠晶が、不幸になるよ」
 利広の言葉の、その真摯な口調を思い出す。



 日が落ちると、辺りは急速に暗くなった。食べ終わった包みを珠晶は半紙と一緒にたたむ。
「主上、そろそろ・・」
 供麒が遠慮がちに声をかけた。
「ええ」
 珠晶はうなずき、握り込んだ包み紙の感触を確かめるように手のひらに力を込めた。
 顔を上げて、まだわずかに夕暮れの気配を残す庭園を見つめる。
 庭園の向こう、内宮の回廊や露台に次々と明かりが灯って行くのが見えた。
 -------もう少し、このままでいたい。
 珠晶は不意に思う。
 明日になれば、また珠晶は供麒に苛立ち、同じ事を繰り返すかもしれない。でも・・・。
 庭園を見つめたまま動かない主を見て、供麒はため息をついたようだった。
 四阿は暗く供麒の表情は見えない。しかし、きっと困った顔をしているだろうことはわかる。
 供麒は主の様子から何かを察したように、それ以上何も言おうとしなかった。
 変わりに珠晶の肩にもう一度、襖(うわぎ)をかけた。

 もう少しだけ、このまま・・・・。
 珠晶はもう一度、強く願った。

-- 終わり --