花火−雁−     ────────────作:央野迷子

 



 空気を震わせて、低く鈍い爆発音が伝わってきた。一瞬の間を置いて、連続した爆発音がまた二つ。
 六太は物憂い表情で顔を上げ、撫でていたなめらかで美しい毛並みをなだめるように叩く。
 馬が怯えたようにいなないた。三騅や天馬、吉量といった騎獣たちも落ちつかなげに足踏みしている。
 六太の傍らの黒い縞の美しい騎獣----すう虞----はさすがに怯えたそぶりは見せなかったが、先ほどまで弛緩していた筋肉は緊張している。

 今日、雁国では花火大会が実施される。今の音はあと半刻後で花火が始まるという合図だった。
 六太はすう虞の背を軽く叩き、厩舎から連れ出した。

 禁門に着くと、六太は振り返って庭園の向こうに見える外殿を眺めた。
 薄闇の中、回廊や雲海に架けられた橋、階段には数歩おきに灯りがともり、波璃の窓も眩しく輝いている。手に灯りを持った大勢の女御や官たちが、忙しく回廊を行き来しているのが見えた。
 これから外殿では王を囲んで花火を眺めながらの盛大な夜宴が催される。
 最初の一刻程は大人しく酒を酌み交わすのだが、最後の方になると官はもとより奚まで交えた無礼講の酒宴になるのだ。
 もちろん六太も出席するように言われていたのだが、酒の匂いは好きではないし、酔っぱらいも嫌いだった。
 何より花火など見たくなかった。
 王宮で見る花火は、地上から高く打ち上げられた花火を雲海を透かして覗き込む形になる。音は鈍く遠く響き、光は雲海の水面をちらちらと瞬き、まるで以前蓬莱で見た線香花火の光のように、儚く消えてゆく。
 暗い波間に明るい光が弾けて、波に拡散された光が庭園を照らす風景は夢のように美しくて、六太は初めて見たとき、まるで天界の風景のようだと、自分は本当に空の上にいるのだと改めて思ったものだった。
 そして、雲の上に浮いているこの城自体がまるで自分の立場のように危ういの だと、不意に思ったのだった。


 ------------花火は嫌いだ。
 六太は唇を噛んで、すう虞の背に跨る。
 儚く美しい火を見ると、まるで自分が幸せな夢を見ているような気分になるから。
 そして、にぎやかな宴の後の静けさに佇んでいると、取り残されたような気分になるから。



「またさぼりか?」
 突然の声に振り向くと、片手にすう虞の手綱をとった尚隆が禁門の傍らに佇んでいた。今来た気配はなかったから、どうやら先ほどからそこにいたものらしい。
「・・・なんだよ。あっちにいなくていいのかよ。また帷湍にどやされるぞ」
「それはこっちの台詞だ」
 ふふんと笑う尚隆から、六太はぷいと顔をそらす。
「おれがいないのはいつものことだろ。おまえまでいなかったら宴会にならねぇぞ」
「ところが、だ」
 ふぅっと尚隆はわざとらしくため息をつく。
「あやつら、おまえを連れてこなければ宴会には入れてやらぬと言いおった」
「朱衡もそう言ったのか!?」
 六太は驚いて尋ねた。
「おう。満面の笑顔で俺を追い出しおったぞ」
 尚隆が肩をすくめる。
 王宮での宴は当然のことながら王がいなければはじまらない。やむを得ず王なしで行うこととなったとしても、変わりに王后や公子、公主等、王の家族を代理に立てるのが慣例である。
 台輔ですらその変わりにはなれないというのに、よりにもよってその大事な宴の日に王を追い出すような真似をするなど普通なら考えられない。
 六太は唇を噛んだ。
「とにかく、そういう訳だ。さっさと帰るぞ。我らが戻らねば乾杯もできぬからな」
 そう言うと、尚隆はさっさと身を翻す。
 六太は数瞬、その後姿を見つめた。
「・・・おれは行かない。おまえは出とけよ」
 六太は言うなり、すう虞のわき腹を蹴った。獣は優美な動きで地を蹴り、空に舞い上がる。背後で尚隆が何事か叫ぶ声が聞こえたが、六太は振り向かなかった。
 足元の景色が遠ざかり、見渡す限りの青空と雲が広がった。
 不意に慣れ親しんだ気配が急速に近づいて来るのを感じ、六太ははっとした。背後に気配を感じて六太が振り向こうとするのと、尚隆がすう虞の背から長い手を伸ばして、六太の襟首を掴むのとか同時だった。
「ぐ!く、苦しいって、尚隆!」
「黙れ。放したらまた逃げるだろうが」
「わかったよ。もう逃げねぇから、その手離せってば」
「その言葉、忘れるなよ」
 言うと、尚隆は六太の襟を放した。六太はすう虞の背に手をついて咳き込む。
「ったく。世話の焼ける餓鬼だ」
 尚隆はため息をつくと、すう虞のわき腹を軽く蹴って方向転換した。
「ほら、行くぞ」
「・・・・尚隆、おれ、王宮には・・」
「いいから付いて来い」
 尚隆は振り向きもせずに、遠ざかっていく。
 六太は憂鬱な面持ちで尚隆の後姿を見つめ、ひとつ息をついてその後を追った。

 


 尚隆が降り立ったのは、意外にも関弓の街中だった。
 街でも随一の規模を誇る三階建ての舎館の屋根にそっと降り、六太を手招きする。
「・・・・なぁ、王宮に行くんじゃなかったのか?」
「せっかく堂々とさぼれる口実が出来たんだ。たまには違う場所で見ようと思ってな。朱衡たちには『六太が泣いて暴れるからしょうがなかった』と言っておこう」
 尚隆はにやりと人の悪い笑みを浮かべる。
「おれ、泣いてなんていねぇぞ!」
「ふむ。ここが一番見やすそうだな」
 尚隆は取り合わず、屋根の瓦が平らな場所を見つけて腰を下ろす。六太はなんだか悔しくなってきた。
「なんだよ。結局おまえだってサボリだろ。おれのせいにすんなよな!」
「阿呆」
 冷たい尚隆の一声に、六太は唇を引き結んで黙る。
 尚隆が手のひらで自分の隣の瓦を示した。六太は無言でその場所に腰を下ろす。
 六太は大勢の人でごったがえす舎館前の大径を見下ろした。径の左右には食べ物や土産物を売るたくさんの出店が立ち並び、子供が両親の袖を引いて懸命にお菓子をねだっているのが見える。
 手を繋いで歩く男女に、着飾って歩く少女達、花火観光に来たと思われる旅人達、そしてはしゃぐ子供をなんとか押しとどめようとする親子連れ。
 賑やかな大径の喧騒が六太のいる屋根の上まで響いてくる。
 どん、と胸に響く大きな音が鳴り、次いで夜空いっぱいに光が弾けた。大径から歓声が上がる。
 六太は驚いて真上を見上げた。
「おお、始まったな」
 尚隆がどこに持っていたのか、酒瓶と杯を取り出し、杯をあおりながら空を見上げる。
 力強い音が連続して鳴り、いくつもの光の花が重なった。
 六太は息を詰めて空を見つめる。
 高い場所で見ているせいか、それとも打ち上げ場所が近いのか、空いっぱいに広がった花火はまるで六太の上に降って来るように見えて、大きな光の花に飲み込まれてしまいそうな気がした。
「下から見る花火もいいものだろう?」
 尚隆が満足げに言う。六太は声もなく、ただ空を見上げた。
 花火なんて嫌いだと思っていた。
 雲海の上から見る花火はあまりにも儚く美しくて、見るたびに不安ばかり刺激した。
 でも、下界から見る花火はなんて華やかで力強いのだろう。一瞬の間に燃え尽きてしまう儚い火なのに、それはなんて生命力に満ちて美しいのだろう。
 花火を見上げる人々の表情は、誰もみな生き生きしていて、夢を見るようにどこか明るい。
「あまりあいつらに心配かけるな」
 夜空を見上げたまま、尚隆が静かに言う。
「別におれは・・!」
 言いかけて、尚隆の静かな眼差しに出会い、六太は言葉を飲み込む。
「本当はわかっておるのだろう?もうこんなお節介はせんぞ」
「・・・・・うん。ごめん・・・」
 六太は膝を引き寄せ、再び真上を見上げる。
 尚隆が後頭部に片手を当ててごろりと寝転んだ。
「まったく。あいつらは今ごろ女官たちと戯れているというに、俺はなんだってこんな餓鬼のおもりをせねばならぬのだ」
 ため息をついてぼやいた尚隆を、六太はまじまじと見つめる。尚隆が気まずそうな顔をした。
 六太が何か言いかけ、しかし無言でごろりと尚隆の隣に横たわる。
 次々に咲いた光の花が、二人の上に降ってきては消えた。

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