恍惚の人たち

作:さんご


「あなたは助かったの」
「そうか・・・」
李斎は、命があったことを喜んで良いものかわからなかった。
暗闇に思い描く花影は、いまにも泣き出しそうな顔をしている。
-----なんて浅ましい、おそろしいことを。

「では、どうすればいい!」
李斎は手綱で麓の村を指して叫んだ。
「あのありさまを見ただろう! 民はもう耐えられない!」
李斎を慰めるように、騎獣が鼻先を寄せる。
「だからといって、景王に罪をそそのかすなんて・・」
「戴には、だれかの助けが必要なんだ」
花影は泣き出しそうな顔で李斎を見上げた。
「どうしても行くとおっしゃるなら、ここでお別れです」
「・・・・・・しかたない」
李斎は、少々の沈黙の後に頷いた。
「・・・垂州は妖魔の巣窟だとか」
「わかっている」
袖に顔をうずめて、花影は低く嗚咽をもらした。
ひとしきり泣いて顔を上げたとき、そこには毅然とした表情が浮かんでいた。
見つめあうふたり。
「李斎・・・わたし貴女に逢えたから・・・」
「・・・花影」
ひし、と抱き合うふたり。

牀榻の中には沈黙が降りていた。
淡々と語る李斎に、一同は狼狽しながらもじっと耳を傾ける。
陽子は平常心を保つよう念じつつ、黙りこんでしまった李斎に声をかけた。
「・・・李斎?苦しいのだったら」
李斎は目を閉じて首を振る。
「大丈夫です。つい思い出に浸ってしまって・・・」
「うん・・・わかる」
わかるのか! 背後に控えた景麒と浩瀚は内心の驚愕を隠せない。
李斎は首にかかった珠を縋るように握り締めた
「・・・それで私は単身、貴国を目指したのです。花影を残していくのは身を切られるように辛かったのですが、妖魔の跋扈する垂州沿岸に連れていくことはできません。なにしろ、花影は人を罰することが辛いといってはわたしの側で泣くような方で、武人のわたしとちがって、指先も声もからだもたおやか。柔らかな声で囁かれると、こちらの胸底をなでられるようで・・・・・・」
李斎の顔を覗き込むようにして耳を傾けていた景王陽子は、押し黙ったまま硬直した。その背後では、浩瀚が激しく狼狽している。
これ以上を主上と台輔に聞かせてはならない!
浩瀚はすばやく立って、瘍医に助けを求めた。


「・・・・・どう思う?」
花殿を出ながら、硬直から復活した陽子は背後の二人に問うた。
「どうといわれましても・・・。泰麒が行方不明になられた経緯はわかりましたが」
珍しく戸惑う様子の浩瀚に頷いて、陽子は背後の景麒を振り返る。
「・・・そうだな・・・・・景麒はどう思う?」
「そうですね」
景麒は首をかしげて考えるそぶりを見せると、静かに語り始めた。
「・・・泰麒はお小さくて稚く、たいそう可愛らしいご様子でいらっしゃいました。鬣がまだ短くて、細い首筋にさわさわと・・・それがなんとも可憐でいらっしゃいました。涙をいっぱいに湛えた瞳で見つめられると、こちらもなんとも喩えがたい気分になり、思わず泰麒の肩を抱いて・・・・・・」
「いや、そうではなく・・・・・」
うっとりと呟きながら州庁に向かう景麒を、残された二人は呆れ顔で見送った。
景麒は執務の途中で呼び出されたから、戻らねばならない。
浩瀚もまた、正寝を退出していった。
「そうではなく・・・景麒まで・・・」
ひとり残された陽子は、とぼとぼと内殿を西へと向かう。
「だれか、わたしにもそんなことを言わせてみろ・・・。いや、わたしのことをそんな風にいってみろ・・・」
憮然として呟くと、ちょうど皮甲をつけた人物がやってくるところだった。
「ああ、桓タイ」
桓タイは陽子に気づいて軽く拱手する。これが慶の禁軍熊将軍であった。
「ちょうどいいところに」
陽子が声をかけると、桓タイは両手を振って後ずさった。
「お相手なら勘弁してください。たった今、小臣をしごいてきたばかりなんで、主上につき合わされたんじゃ身がもちません!」
「こんなところでわたしに何をするつもりだ! 気が早ーーい!」
陽子の鉄拳が、疲れきった桓タイの胸板に突き刺さった。


+おまけ李斎「率直の人」

李斎は瞬いた。
「失礼だが、どちらかは虎嘯の?」
「いや、やっぱり赤の他人だ」
虎嘯は、このしなやかな女将軍に自分のことを尋ねられるのが面映くて、ニヒルな笑いを浮かべた。
しかし、李斎はまるで意に介さず、生真面目な様子で瞬いた。
「それはつまり、おふたりとも虎嘯の愛人?」
「・・・・」
「あ、もしや桂桂殿も育ててるのか?金波宮の方々は、ずいぶん進んでおられる」
「・・・・・・・・」
「お気に障られたなら申し訳ない。どうも、わたしは婉曲な言いまわしというものに疎くて・・・。虎嘯?」
ニヒルな笑いを浮かべたまま硬化した虎嘯を見上げて、李斎は首を傾げた。
あくまでも折り目正しいその仕草に、虎嘯は内心でげっそりと息をついた。

−おわり−

 
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