未だ日も明けて間もない時刻、陽子は静かに自室に戻ってきた。
慶主景王陽子。
その呼び名の持つ重みは、時として陽子に安らかな眠りを与えなかった。
国の平穏、民の安寧。慶東国に対する己が責務を全うしようと、陽子は力を尽くしている。
だが、己が行った事に対する不安、己が行わなかった事に対する後悔が、寝床に身を横たえた夜など、ふいにやって来る。一晩中まんじりともできなかったり、浅い眠りのせいであらぬ時に目が覚めたりするのである。
そのような時、陽子は静かに館を抜け出し、宮殿の周辺を散策した。
靄のかかる静かな朝、澄んでひんやりとした空気の中をそぞろ歩きするだけで、ずいぶんと気が晴れるものだった。

「う〜〜ん」
イスに腰掛けた陽子は、大きく伸びをする。
肘をテーブルの上につき、あけ放った窓の外に広がる風景を、陽子はしばらくの間ぼんやりと眺めていた。
やがて視線を窓の内側に戻すと、なんとは無しに部屋を見回した。そして飾り棚の上に置いてある剣に、ふと目が止まる。先日、手元に戻ってきた水禺刀であった。
慶東国の宝重であり、陽子がこちらの世界に来た当初、唯一手元に有ったもの。それがこの剣である。
しかし、とある事情でこの剣の鞘は死んでしまっていた。鞘が持つ魔力も失われていた。つい先日までは…。
どういう術で修復したのかを、陽子は知らない。
しかし鞘は甦った。刀身と鞘とで一対の形を保つ、水禺刀として再び甦ったのである。もはやそれは、主である陽子以外は誰も刀身を抜くことができなくなった。本来の力を、取り戻したのである。
陽子は剣を手に取り、その刃身を抜いた。
鞘をテーブルに置くと、剣を斜に構え、視線をゆっくりとその上に這わせる。
淡く蒼い輝きが刀身を薄く覆っている。この燐光から生じる幻は、思えば陽子を大いに苦しめた。しかし陽子が真の主となった今では、陽子に従い、陽子の求める幻を写すようになった。
陽子は時にふと、この刀の力をもって、以前住んでいたあちらの世界をのぞいて見たい衝動に駆られる。
しかし、今は思うだけにとどめている。あちらは自分が去った世界であり、今やこの世界が自分にとっての本物であるのだから。
……そして水禺刀のもうひとつの本体である鞘。
『鞘は変じて禺(さる)を現す』
陽子はこの禺にも心を悩まされ、擦り減らされ、ずいぶんと疎ましく思った。
しかしその疎ましさは、実はかっての自分に向けられていたもの。
陽子は視線を鞘の方に向けると、薄く微笑んだ。
……ニヤリ、という笑いが陽子の視線とぶつかった。テーブルの上には、禺がちょこんとしゃがんでいた。例のあの禺である。
……ニヤリ。
禺は相変らず笑みを続けている。
陽子もつられて微笑みを返したが、それは激しく引きつっている。
そして次の瞬間、禺は笑いを続けたまま、きびすを返すと何処かへと走り去った。
「に、逃げた……」
陽子は、開け放たれた窓を呆然と見つめていた。



笑う大王

作:藤屋ねくたー

場面は変わり、ここは雁国のとある街。名は記さぬが、関弓の近隣の土地である。
その街の通りを一人の男が歩いていた。
「ちょっと。そこのお兄さん」
道端の店、一軒の飲み屋から声があがる。
「おう、リーファじゃねぇか。どうした?」
「ごあいさつだね。どうしたじゃないよ。ずーーっとご無沙汰でさ」
「ああ、そうだな。このところちょっとばかり、忙しかったもんでな」
「なに言ってんだい、フラフラしているしか能がないくせに。…どこかに良い娘でもできたんじゃないかい?」
「ハハハ、お前さんみたいな美人をほったらかしにしてか?」
「馬鹿お言いでないよ」
その女は顔全体でしかめっ面をしてみせる。
そうしてから、半歩ほど男に寄ると口調を和らげた。
「ねぇ、どうだい?寄ってかないかい?」
男は笑って答える。
「また、今度な」
「もうっ……。きっとだよ」
ブラリブラリと、男はまた通りを歩き始める。
遊び人という言葉がピッタリのその男は、道すがら方々の店から「旦那」とか「お兄さん」とか、声をかけられる。なかなか顔の広い、人気者の男であった。
やがて男は一軒の料理屋へ、やはりブラリと入っていった。
「こんちわ」
「いらっしゃーい。あーっ、尚さん。久しぶりーっ」
「おう、メイリン。相変わらず元気だなあ」
明鈴と呼ばれた十七、八の少女は、はつらつとした笑顔をみせる。
「エヘヘ…元気、元気。だけど本当に久しぶりよぉ。あんまり顔見せなくて、心配してたんだから」
「ああ、悪い悪い」
尚と呼ばれたその男も、明鈴につられ笑顔を見せる。
「ちょっと旅に行っていたんだ」
尚はドッカリとイスに腰掛ける。
「ふ〜ん。あ、ねぇ、いつものでいい?」
「ああ、頼むよ」
「はぁい。ちょっと待っててね」
明鈴は、調理場の方へいそいそと歩いていった。
「よお、尚さん。久しぶりだね」
店の端の席から声がかかる。
「おお、李さんか。元気だったかい」
どうやら顔なじみのようである。
「旅に行ってたんだって?」
「うん、南の方へね」
「南? 南ってぇと序嬰のあたりかい」
「ああ、まあその辺りだ」
「いいねぇ、あそこはいい温泉がたくさんあるからねぇ。で、一体どなたと一緒に行ってたんだい?」
「いや。むさ苦しい男どもとだよ」
「おやおや、尚さんともあろう人がねぇ。色気のある話は、なかったのかい?」
「さて、どうだったかな……」
「お待ちどうさま」
明鈴が元気な声とともに戻って来た。
テーブルに酒、杯、料理の鉢を置き、自分は向かいのイスにお盆を抱えて座り込む。
「ねぇ、今日はゆっくりしていけるんでしょう?」

そのうちに、一人二人となじみの者が店に来始め、半時も経つ頃には5〜6人の集団で座を囲んでいた。外が夜の闇に包まれた時分には、店内は酒の上での馬鹿話で大いに盛り上がっていた。
「……で、そいつはあんまり外が騒がしいものだから、窓からそーっとのぞいてみたんだと」
一人の男の話を、皆が身を乗り出して聞いている。
「そしたらなんと、そこにはロバがいて、ロバの上には犬、犬の上にはネコ、ネコの上にはこれまたニワトリがいて、そりゃもう、どえらい騒動を始めたそうだ」
一同はドッと笑いころげる。ワハハハ、フフフ、ギャハハ、キャラキャラ、クスクスと、えらい盛り上がりようだ。
ん?………キャラキャラ?
意味不明な笑い声を不審に思った一同は、声のする方に思わず視線を向けた。
そこには一頭の猿がいた。全身が真っ青な猿で、ニヤニヤした笑いを一同に向けていた。
「オゥ、愉快な話だナァ」
再びキャラキャラ笑うと、不敵な笑みを向ける。
「ナァ、えんお………ゲベッ」
それは一瞬のでき事だった。尚が素早く立ち上がると、猿の首根っこをひっ捕まえ、その口を大きな手で塞いだのだ。図体のでかい割りには機敏な動きである。猿はまだ何かを言いたそうに顔をウグウグさせていた。
「いやあ。悪いな、皆の衆。ちょっとばかり野暮用を思い出しちまってな。お先に抜けさせてもらうわ。え? 何? この猿? この猿はアレよ、オレの知り合いのペットだ。ちょっいとそこから、お呼び出しがかかった、ってとこだな。モテる男はつらいぜ。え? 息が詰まってるって? 猿の? 目が白黒している? バカ言っちゃあいけねぇ。こいつはそう簡単にくたばるタマじゃねぇぜ」
愛想笑いを振り撒きながら、尚は畳み込むように言葉を続ける。
「じゃあな。また来るぜ。あばよ。さいならっ」
猿を小脇に抱えると、一目散に駆け出した。
一同は呆然として、開け放しにされたままの扉をながめていた。
「はぁ〜〜、逃げられちゃった……」
ひとり明鈴が、ポツリとつぶやいた。



この街の外れには小さな池がある。そして池を取り囲むように木々が繁っていた。
その木の一つに、尚が寄りかかっていた。さすがに飲んだ体での疾走は堪えたようだ。寄りかかって、みだれた息を整えている。そして池のほとりには、猿がうずくまっていた。さすがの妖でも息が詰まるのはこたえるのだろうか。地面に手をつき、水面に顔を向け、ゼハ〜ゼハ〜と大息を吐いていた。
しばらくの間、辺りは息遣いだけが聞こえていた。
「鞘は変じて禺を現す。その姿、ことごとく青なり……」
やがて気分が落着いたのであろう。尚は虚空を睨み、そう呟いた。
「お前と会うのは2度目だが、その姿は初めてだな」
尚、いや、延王尚隆の声が静かに響いた。
「だが、なぜこのようなところをうろついている? 景国の宝重がたった一人でウロウロと……」
猿は無言である。
「景王はいかがされた? ひょっとして本当に俺を呼びに遣わされたのか?」
猿は無言であった。
「………」
尚隆は軽く息を吐いて、どっかりと猿の隣に腰を下ろした。意外と彼は、それを期待していたのかもしれない。
しばらくの間、尚隆は風が池の水面を撫でるのを眺めていた。
隣にいる猿は何の反応もしない。コトリともしゃべらない。
尚隆はポリポリと頭を掻いた。
「……先ほどの扱いに、気を悪くしているのか? だが、あれはお前が悪いのだ。まわりの都合も考えずに突然姿を表し、俺の秘密まで暴露しようとしたのだからな。正体がばれたらえらい事だ……ゆっくり酒も飲めなくなる。何しろ雁には、王に酒を売ってはならぬという法があるという話であるし……」
まるで他人事の様に、淡々と話す尚隆。
「まあ、あの店には当分近寄れぬな」
尚隆はニヤリと笑う。
「まったく、主従そろって厄介をかけおる」
「………」
猿は相変わらず無言であった。ただその顔は、何か酸っぱい物を飲み込んだかのように、酷くしかめていた。
やおらに尚隆は、衣から大きな徳利を取り出した。
栓を抜き、徳利を片手で持ち上げ、口にゆっくりと酒を流し込む。ゴクリゴクリと二度三度のどを鳴らす。それから猿に徳利を突き出す。
猿は微動だにしない。
それならば……と尚隆が再び口元に運ぼうとした時、さえぎる様に猿が徳利を手にする。
猿は一度地面に置き、徳利を両手で抱える。持ち上げ、顔を突っ込むようにして飲む。満足すると再び地面に置く。それを尚隆が取る。次に猿が手にする。さらにまた尚隆が飲む。
そんなやりとりがしばらく続いた。
「……ノド、渇いていたからヨォ」
やおらに猿が声をあげた。意外と小さい声だった。
「オレが何処に居ようとオレの勝手ダァ。延王がこんなところに居るのがお前の勝手のようにヨォ」
尚隆は黙って徳利を傾けた。猿はこしゃくな顔を尚隆に向けた。
「ところでお前の声、何故俺にも聞こえるのだ? そう、さっきの店の連中にもだ。姿も声も見聞きできるのは主だけ。お前の全ては主の独占物、という話だったと思うが……」
尚隆は、笑い顔で尋ねる。
「サァてな…」
猿は憮然とつぶやく。
「まあ、そういう気分だったからヨォ、オレの気分がナァ」
猿は答える。さらには話し相手が主だけでは、自分が内気すぎるからとも言う。尚隆は言葉の意味がよく分からなかったので、聞こえなかったふりをする。その途端に猿がキャラキャラ笑う。尚隆は酒を飲む。そして主はどうした? 景王から逃げてきたのかと尋ねる。さぁてなと猿はつぶやく。館を出てくる時には顔を合わせたが、あいつは目をまん丸くしていたとなと言って笑う。そりゃそうだろうと尚隆も笑う。猿が酒を飲む。お前はどうなんだと猿が問う。お前こそ逃げ出してきたのだろうと笑う。さぁてなと尚隆はつぶやく。ただし俺が逃げ出したとしても、誰も目を丸くせんがなと笑う。猿もキャラキャラ声を出す。そして酒を飲む。飲む。また飲む……。

「………空だナァ」
猿が徳利に突っ込んでいた顔を尚隆に向ける。
「それで終いだ」
尚隆が答える。しゃっくりを一つする。
「こいつは何て酒だい?」
猿は指についた酒を未練がましく舐める。
「古酒だ。鳳凰錦という。猿には上等すぎる酒だ」
ケッ、と猿は毒づく。尚隆はよろりと立ち上がる。
「……帰るのか?」
猿が見上げる。
「いや、酒を買いに行く」
そして猿に顔を向ける。
「………来るか?」
猿はまたしても、ケッと毒づく。それでもゆっくりと腰を持ち上げる。
立ち上がる時、ふらりと体が揺れた。

その夜、猿を肩に乗っけた遊び人の尚さんの姿を、街のあちこちで見ることができたという話である。



雁州国の首都―関弓。そして王宮―玄英宮。
夜も更け、この玄英宮も静まり返っていた。
煌々と明かりがついている、一室を除いては……。
「ワハハハハッ!」
その部屋は、まさに宴たけなわであった。
尚隆と猿が床にごろりと座り、手に杯をとり、酒を大いに楽しんでいた。
「…しかしあの衣川の通りで会った女人は、良い女だったなぁ」
むろん、つい先刻まで二人がうろついていた街の話をしているのである。
「衣川……? おお…オォ、あの女ナァ。髪が黒く長く、肌が真っ白で。おぉ、ありゃあ良かったナァ。…そうだなあ。オレもよお、あんな女と温泉にでも行ってヨォ、一度背中を流されてみたいもんだナァ」
猿が笑う。
「ほう。お前も、意外と雅な趣味を持っているな。いや、意外、意外」
尚隆もご満悦である。
「だけどお前がヨォ、しつこくしたもんでヨォ、せっかくの女も逃げちまったよナァ…」
「…なにを言う。あれはあの場の…挨拶というものだ。なにも間違ったことはしておらん。お約束通りの作法というものだ。そもそもお前がその面を出したら、どんな女でも逃げ出すわ」
尚隆は酒をあおり、ニヤリと笑う。
「オゥ、なに言ってやがる。酩楽亭ではオレばっかり人気をさらってたから、ふて腐れていやがったくせにヨォ」
酩楽亭とは酒場のことである。どんな酒場かと言うと……まあ言わぬが花であろう。
「はいはい。確かにお前さんがモテていたな。だが、あれだけカワイコぶって、やれでんぐり返しだ、やれ反省のポーズだって、芸をご披露すりゃあ、うけるってもんだろう。まったくなりふり構わずやりやがって。おまけにお前、顔も変えていたしな。いつもは節穴って具合の目が、妙につぶらでクリクリっと、なっていなかったか?」
「テェーピィーオゥーって奴だナァ」
意外にも博学な猿は、横文字など使ったりする。
尚隆は声をあげて笑った。一緒に猿も笑う。
「いや、しかしお前は到底、王には見えないナァ」
「ああ…よく皆に言われる」
尚隆はニヤリと笑う。
「うちの主はよう、どうもちょっとばかり堅くていけねェ」
猿は杯に酒を満たす。
「おまけに、オレもちょっとヤンチャしすぎたからなあ…」
「何だ。お前、陽子が怖くて逃げ出したのか?」
尚隆が吹き出す。
「ケッ…」
猿は杯に口をつける。
「妖に怖いものなどあるかい。オレがおん出たのに訳なんざねぇヨォ」
グッと杯を乾す。
「まあ、お前も宮仕えだからな。いろいろ辛いこともあるんだろう。俺も、自分のまわりを見ていると、つくづく大変だなと思うしな…」
「…あれでも前はヨォ、可愛かったんだぜェ。オレがちょっと手え出すとよ、すぐピーピー泣いてヨォ。あれ……おもしろかったナァ」
猿は遠い目をする。
「ピーピー…?」
尚隆はその情景を想像してみようとする。
「ピーピー……」
尚隆は腕を組んで考え込む。
「…ピーピーねえ。そいつは俺も見てみたかったな。へぇ、あの陽子がピーピーねぇ………」
二人は大声で笑い合う。どうにも手のつけようがない酔っ払いたちであった。
その時突然、ガタガタガタッという音がした。音は扉の向こうから聞こえてくる。人の気配もする。
何だろうと思い、二人は扉を見つめた。
するといきなり扉が開き、その陰より一人の少年が姿を表わした。延台輔六太である。
小さいながら、いつもは泰然としている六太であるが、この時は妙にそわそわしていた。おまけに髪も少し乱れている。だがとにかく、コホンと小さく咳払いをすると、声を発した。
「尚隆、一体何をやっているんだ。いま何時だと思っている」
「なんだ、六太か。どうした? お前も一杯やるか?」
「おれは酒は飲まん」
そう言い放つと猿の方を向く。
「お前が禺か…」
猿はケケッと笑う。
「類は友を呼ぶとは良く言ったもんだよな。だけど酒を飲むにしても、もう少し行儀良くはできねえのか?」
「なに言ってる。楽しく飲んでいる酒だ、別にかまわんだろう? そう目くじらを立てるな」
「もう十分楽しんだだろう?今夜はもうお開きだ」
つれない物言いの六太。尚隆は軽く肩をすくめる。
猿がきゃらきゃら笑う。
「…おいおい坊やヨォ。かまって欲しいからって、あんまり意地が悪かねえかナァ」
「なんだと!」
坊やと言われて鼻白む六太。猿はかまわず話を続ける。
「坊やはヨォ、拗ねてるんだよナァ。尚隆が一人でこっそり街へ抜け出して、自分は連れて行ってもらえなかったもんだからヨォ」
「な、なにを! 馬鹿なこと言うんじゃねぇ!」
「なんだ。そうだったのか、六太」
尚隆はニヤニヤと笑う。
「ば…尚隆、お前までばか言うな」
六太がどなる。
「そうならそうと、言えば良いものを」
「ほれほれ、ムキにならんでヨォ」
「ば…ばか、黙れッ!」
「ほらほら、怒鳴ってないでこっちに来い」
「オウオウ、仲間に入れてやるからヨォ」
「うるせえ、だまれ。誰が行くか!」
すでに六太の顔は真っ赤だ。
「まったく、しょうがないな…」
尚隆はフラリと立ち上がる。
「ムキになってヨォ、かわいいよナァ…」
猿もフラリと立ち上がる。
二人の酔っ払いは、ヨタヨタと六太に近づいて行く。
「なんだ、お前ら。よせ、止めろ、来るな…」
じりじりと後退りする六太。
じりじりと近づく酔っ払い。
「よせ!止めろ!!こっち来るな〜〜〜」
思わず走って逃げようとした六太だったが、酔っ払っている割に二人の動きはすばやい。あっという間につかまってしまう。ガシッと体をつかまれると、頬に頬をスリスリ、スリスリとすり込まれる。右に尚隆、左は猿だ。スリスリ、スリスリ、スリスリ、スリスリ……。
「やめろ〜〜たのむ、止めてくれ〜〜」
息絶え絶えの六太。だが、酔っ払い達は気にしちゃいない。
「う〜ん。素直じゃない奴だな」
「てれちまってんだナァ」
「よし、もっと強い愛情表現だ。キスしてやろう」
「じゃあオレはこっちの頬に…。ン〜〜〜ンン」
「俺はこっちだ。ン〜〜〜ンン」
顔面蒼白の六太! 絶体絶命のピンチ!!
「わ〜あ、やめろ〜〜、助けてくれ〜〜〜」
『ゴキッ! ゴキッ!!』
突然、部屋の扉が開け放たれたかと思うと、次の瞬間、鈍い音が辺りに響き渡った。
六太が恐る恐る顔を上げてみると、目の前に陽子が立っていた。仁王立ちであった。
いつもは物静かでクールといった陽子だが、この時は布に包んだ刀を片手に、ハアハアと肩で息をし、えらく興奮している様だ。髪も少々乱れている。
「みねうちだ……」
そう呟いた陽子の目は酷く荒んでいた。彼女の気に障るような事が、何かあったのだろうか?
扉の陰からは、女官たちが顔を赤らめ、部屋の様子をうかがっていた。ちなみに彼女達の髪も、何故か乱れていた。
そして、猿と大猿は床にのびていた。頭にでっかいタンコブをこしらえて……。



『水をして剣を成さしめ、禺をして鞘を成さしめ、よって水禺刀となす。
 水は鞘をもって剣に封じ、禺は剣をもって鞘に封ず。よって主の意に従うべし』
水禺刀の対であり半身である鞘は、あるべき処へと戻って行った。
完全な姿で手中に戻った水禺刀を、陽子は嬉々として胸に抱きしめた。彼女は刀身の力をたよりに、今日一日、禺を探していたのであった。
しばらくして、陽子は玄英宮を後にした。
そして部屋に残されたのは、六太と、床に転がっている尚隆だけである。
六太は、今や安らかな寝息を立てている己が半身を見つめた。
そして、そっとため息をつくのだった。


−おわり−


 
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