月の影 影の海 上演委員会

作:藤屋ねくたー



「…と言った次第で、本委員会の設立を上奏いたします。ご裁可を」
「………」
「主上?」
「ああ、すまない。ちょっとぼんやりしてたようだ…。それで浩瀚。念のために聞くが、月の影影の海上演委員会とは、何の事だったかな?」
「主上…。以前より申し上げているではございませんか。主上が蓬莱より戻られ、舒栄の乱を平定し、やがて登極するまでの話を、舞台劇として上演する計画を。委員会は、この上演に当たって発生する諸事に、円滑かつ効率的に対応するために……」
「あ…ああ、分かっている。試しに聞いてみただけだ。無論、承知している」
陽子は、急いで弁解した。

実際のところ、陽子は確かに劇のことを承知していた。何しろこの1〜2ヶ月の間、浩瀚や他の近習達との会話に、しばしばこの話題が上がっていたのである。
だが陽子としては、この話に乗り気ではなかった。あの忘れられぬ旅、宿命や運命という言葉だけでは言い表せない、自己の生存と存在を賭けて戦った日々を、見世物にしてしまうのは複雑な思いだった。
その一方で、浩瀚達の考えも理解できた。陽子の登極に当たっての出来事を語り、登極の正当性を世に知らしめる。そして王に対する、さらには国に対する信頼を、慶国の民に得てもらうということ。慶国の王であり、国の平穏と民の安寧を第一の使命とする陽子には、それが重要なことは、十分理解できた。
しかし、その陽子にも理解できない事があった。なぜ劇を、金波宮の人間総動員でやらなければならないのだろう? ということだ。
普通、そういった事は本職の劇団にやらせるのではないかと、陽子は疑問を口にしたことがある。だが浩瀚も、その場に居合わせた景麒も、無言でただ首をふるだけだった。
こちらに来て二年以上経つが、その風習にはなかなか馴染めていない陽子であった。

「ところで、この『月の影影の海』という題名は…?」
上奏された企画書をパラパラとめくりながら、陽子が尋ねる。
「はい。皆で思案していたところ、大僕がつけてくれました。なかなか詩情溢れる題名と思います」
「へえ、虎嘯がねぇ……」
陽子は、文書にざっと目を通しはじめた。
冒頭には、上演委員会設置の趣意が記述されていた。この劇の成功が、慶国の発展に密接に結びつく理由を、麗々と、そして高らかに述べていた。
また、劇のあらすじについての記述もあった。

 流浪の果てにたどり着いた蓬莱で、慶国の運命を担う少女を探し出した景麒。そして景麒に見いだされた少女−陽子は、地平の彼方よりも隔たった場所にある世界の事と、彼女がそこで果たすべき役割を聞く。己の運命を悟った陽子は、慶国に帰還することを決意する。破顔する景麒。だがしかし、二人を覆う黒い影は、音も無く近づいていたのだった………。

首をふりながらも企画書を読み進める陽子であったが、やがて配役の文字に目が止まった。
これには、さすがに陽子も興味があるらしく、じっくりと目を通し始めた。

−配役−


 班渠:      柴望
 芥瑚:      花翠
 冗祐:      虎嘯

「ふうん。使令の役は本人ではなくて別の者がやるんだ?」
「はい。役を演じるということこそ、芝居の本質ですから」
「へえ…、そんなものなのかな……」


 延麒:      蘭桂
 延王:      尚隆

「桂桂が延麒というのは分かるが、なぜ延王が延王を?」
「ご本人から、ぜひ自分にやらせろとの仰せで。一体、どこで聞きつけてきたのやら…」
浩瀚は、ため息を吐いた。


 蒼猿:      鈴

「鈴が蒼猿の役?」
「はい。蒼猿は物語前半の重要な役ですから、才気ある者に演じてもらいます」
「で、でも、蒼猿だぞ!?」
「ご心配には及びません。事前に行いました試験で、鈴は見事に役を演じきりました。特に笑い声の凄みは大したもので、主上にもお聞かせしたかったぐらいです」
「………あまり、聞きたくないな」
陽子はポツリと言った。


 鈴木:      梨紀
 佐藤:      桃良

「浩瀚、この登場人物は?」
「陽子と一緒に、蓬莱から流されて来る学友でございます」
「…………何だって?」 
「二人とも陽子とこちらに流され、旅を一緒に続けるという話の展開になります。陽子のぼけと蒼猿のつっこみだけでは、中盤を持たせるのはかなり難しいだろうという意見が、大勢を占めました。よって、その為の登場人物です」
「………」
「主上……? 如何されました? 顔色がすぐれないようですが……」
「いや、何でもない。先を読み進めよう」
「御意」


 総裁えっくす:  遠甫
 べるくかっつえ: 凱之

「こ、これは……?」
「黒幕、はやい話が敵役です。色々と差し障りがありますので、実名を使うのは控えました。何しろ隣国ですから」
「…というより、この名前は?」
「役名の方は、著名な敵役という事で蓬莱の文献より引用いたしました」
(……いったい、どこの何という文献から引用したんだ!)
先ほどから混乱していた陽子の頭は、ますます訳が分からなくなっていった。
「さ、先を読むぞ!」
「御意」


 楽俊:      桓たい

「桓たい???」
「半獣つながりということです」
(………なんてことだ。美しく清らかな純愛のシーンを、クマとやれというのか!?)
企画書を持つ陽子の腕が、震えた。
「主上、企画書を潰してしまいます」
「あ、ああ……分かってる……」


 景麒:      浩瀚

「………」
「景麒の役は、不肖ながら私が演じることとなりました……」
「………」
「台輔殿は舞台で演じるほど器用ではないと、ご自分から……」
「………」
「皆も了承してくれまして……」
「………」
「主上……?」
「うん? ああ、別に私は、何も気にしていないぞ」
顔は笑っていなかった。
「さ、先を……」
「ああ…」


 陽子:      祥瓊

………ブチッ。
「主上! ああっ…企画書が!!」
「……祥瓊か? 陽子の役は、祥瓊か?」
「は、はい。主役は見栄えが肝心と言うことで、祥瓊に決まりました。…主上?」
「フ、フフッ。そうか…陽子役は祥瓊か……」

結局のところ陽子も、ヒロインをやりたいのであった。
あの旅の話を見世物にする事には、はなはだしく疑問を持っている陽子である。それでも劇をやるというならば、ヒロインを演じたいというのが人情であり、乙女の心意気というものであろう。
無論それならば、自分がやると手を上げてアピールすれば話が早かったのだが、やはり陽子も女の子。私がヒロインをやる…これは勅令である、などと口にするのは、やはり憚られる気がした。それにヒロインは他薦で選ばれてこそ、その価値があるものだ。
そう思って控えめにしていた陽子だが、結果はこの有様である。

「フ、フフッ…祥瓊か。フ…フフ…」
「しゅ、主上っ〜〜」


その夜、陽子の執務室は、いつまでも明かりが点いていたのだった。


終わり


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