|
宗王先新の悠然たる一日
作:藤屋ねくたー
朝餉:
宗王先新の朝の食卓は、賑やかであった。 「…おい文姫。いい加減、人の皿のおかずを取るのは止さないか。行儀が悪いぞ」 「いいじゃない。どうせ兄さまは小食なんだし…。はい父さま、お醤油。言ってくれれば取ってあげたわよ」 「おお、ありがとう。いや…しかし、もう水茄子の出まわる季節になったか……」 いつも通りの、家族そろって和やかな食事という情景であった。 先新は、食卓に出されている水茄子の漬物に目を細めると、おもむろに口へと運ぶ。 「うん、うん、うん! ……どうだい昭彰、お前も一つ食べてみないか?」 「止しなさいよ、父さま。そんなものが好きなのは、父さまぐらいしかいないんだから」 憮然とした先新は、手にした漬物をだまって自分の口に運んだ。 「はい、汁物ですよ。順番に取っておくれ」 明嬉が汁碗の乗った盆を運んできた。 食事は一家の主が登極する前と変わらず、明嬉が拵えている。菜食主義の家族が増えはしたが、かつて舎館を切り盛りしていた彼女にとってみれば、大したことではなかった。 昭彰も明嬉が作る食事を、いつもよろこんで食べている。 「…そう言えば、利広は?」 先新が訊ねる。 「いませんよ」 明嬉の答えは、あっさりとしたものだった。
朝議:
宮中外殿にて朝議である。 先新の朝の、永きにわたる安寧からであろうか? 朝議は悠然と始まり、議事も悠然と進む。 「主上。先に奏上致しました土木事業の御裁可は、如何相成りましたか?」 冬官長が、先新に問う。 「おお、邯南の件だな。その件は、いま熟慮しておる。廬丘の港工事と話が重なるからな。今暫く待ってくれるか?」 「はっ。畏まりまして」 そして朝議は、悠然と終わった。
午前の政務:
後宮典章殿にて、午前の政務を行う。 宗王先新は典章殿にて一人静かに思索を行い、国の道標を作るのである。 およそ多くの者が、そう信じていた。 「……という訳で、この件もそろそろ結論を出さねばな。邯南と廬丘の工事のどちらを優先すべきか、なのだが…」 「はーい、議長! あたしはやっぱり、廬丘の港工事を優先させるべきだと思います」 文姫が高らかに宣言する。 「でもねえ、私は邯南の工事も大切だと思うよ。あそこは由緒ある街だからね。土地の便が悪くなったからと言って、さびれさせるのは残念だよ」 と、これは明嬉。 「え〜っ。でも、これからは他国との交易が重要になって行くのよ。だから港の整備はどうしても必要じゃない」 「温故知新という言葉があるじゃないか。新しい事を進めるばかりが能じゃないよ。そもそも邯南の街は、私とお父さんが結婚する前……」 奏国の基盤を成す櫨家の家族会議であるが、今回は少し長引きそうな様相であった。 「……お前はどう思う?」 先新は隣に座る長男に、そっと声を掛ける。 「とりあえず、お二人の話の成り行きを聞いてましょう。ふたりとも、さすがに当を得た議論をしていますしね」 そうだな、と先新は椅子に深々と寄りかける。 そして昭彰の入れたお茶を、三人で愉しむのだった。 「そう言えば、利広は?」 「いないですよ」 利達の返答も、あっさりとしていた。
昼餉:
宗王先新は、やはり昼食も後宮でとる。 利達、文姫、それと利広は外に出ていたので、ゆっくりと食事がとれた。
午後の政務:
宮中外殿にて、政務を執る。 午後も半ばを過ぎた頃、宗王先新は天官長−紫嶺の報告を受けていた。 そこへ、明嬉が部屋に入ってきた。妙に浮かない顔をしている。 「主上……」 明嬉が口を開く。 「おお、ちょっと待っていてくれるか? 今、紫嶺と話の最中でな」 先新が答える。 「いえ、私の用件はもう済みましたので……」 紫嶺は、後方へゆるりと下がる。 「主上……」 明嬉が、やはり浮かない顔で口を開く。 「今夜のお食事、何がよろしいでしょうかね?」 家を預かる者にとって、晩ご飯の献立は永遠の悩みの種であった。 「う、うむ……………………なんでもよいぞ」 と、先新。 明嬉はフウと、ため息を吐いた。 「杜緑と相談したらいかがです」 軽く笑いながら、紫嶺が助け船を出す。 「わざわざ家の事で、杜緑を煩わしたくないからねぇ……」 と、明嬉。 「そうですか。では季節柄、魚の清蒸など如何です? それと今は青菜が旬ですからね、油菜などもよろしいのでは?」 「そうだねぇ。魚の清蒸に青菜。たしかにどちらも、旬のものだね……」 魚の清蒸は、明嬉の得意料理でもあった。 「じゃあ、それにしましょう。そうだ、紫嶺。お前も夕飯を一緒にどうだい?」 「いえ、今日は早く帰ると家に言ってありますので。また今度にでも」 そうかい、と少々残念そうな明嬉。それでも明るく意気揚々と、部屋を退出した。 先新と紫嶺は顔を見合わせ、そして愉快に笑うのだった。
午後の一時:
時は酉の刻に近い頃。先新は庁から戻ってきた昭彰とふたりで、お茶を飲んでいた。 そして、会話の中身と言えば他愛もなく、例えば、今度また釣りに連れていってやろうなどと話をしていた。 先新の釣りは、川にただ糸を垂らしているだけで、厳密には、どうも釣りとは言えない代物であった。それでも先新は、そんな釣りが好きだったのである。 ええ是非にと、にっこり微笑む昭彰。 良い香りのするお茶を前に、ふたりはのんびりとした時間を楽しんでいた。 「ああ、父さま! ここに居たのね!!」 突然文姫が、元気な声とともに姿を表した。 「ねっ、ちょっとつき合ってくださる?」 そう言って文姫は、手に抱えた鞠を見せる。 いや、わしは…と、言葉を濁す先新。 「いいじゃない、父さま。たまには体を動かさないと健康に悪いわ」 「………他にも相手がいるだろう。利達は?」 「まだ庁から戻ってないわ」 「利広は?」 「いないわよ」 フウと息を吐き、やれやれという感じで体を起こす先新。 そんな先新を、無理矢理引っ張って行く文姫。 昭彰は、微笑みながら二人の姿を眺めていた。 「なにしているの、昭彰。あなたも早くいらっしゃいよ」 「は、はい」 昭彰は顔をほころばせ、ゆっくりと二人の後を追うのであった。
夕餉:
宗王先新の食卓は、夕刻も賑やかであった。 「へえっ、今夜は魚の清蒸なんですか? 久しぶりですね。……おい、文姫。行儀が悪いぞ」 文姫は指についた餡をぺろりと舐めると、利達にしかめっ面をして見せた。 「ああ、本当だな。しかしあれは母さんの自慢料理だし、わしも久々に味わうのが楽しみだよ。……おお、ありがとう」 昭彰に酌をされ、満面の笑みを浮かべる先新。 「そう言えば、利広は?」 「いやだなあ、目の前に居ますよ。お父さん」 すずしい顔をして、利広は食卓に着いていた 「おお、居たのか。今度は、一体どこをほっつき歩いていた?」 「ええ、ちょっと西の方へ行って、そのあと北に、それから東の方にも行ったかな?」 「何だかはっきりしないな……。まあ、お前らしいと言えば、らしいけれど」 「ねえ、兄さま。お土産は?」 いつもに増して、賑やかな食卓であった。 「さあ、出来ましたよ。いただきましょう」 明嬉が、湯気の立つ大皿を運んで来た。一同はそれを歓声で迎えた。
宵:
後宮典章殿の喧噪も、宵が深まるにつれて静まっていった。 皆はそれぞれの部屋に下がり、居室は先新と明嬉の二人きりである。 卓上には、湯飲みが二つ。 夜の静寂の中、取り立てて話をすることもなく、ゆったりとくつろいでいる。 「……そろそろ休みますか?」 「そうだな」
王宮の外には雲海が広がる。 夜の静寂に遠く波の音を聴きながら、先新は安らかな眠りにつくのだった。
かの如き賢王が治むる奏南国に、つねに平穏のあらんことを。
−おわり−
あとがきへ
一言でもいいので、感想をいただけたら幸いです。
(なおその際はなるべくタイトルを書いていただけると助かります)
掲示板に感想を書く
メールを送る : ねくたーさま fujiya_nectar@hotmail.com
|