陽子と景麒の交換日記

作:藤屋ねくたー



「……すまない、景麒。今の言葉をもう一度言ってくれないか?」
「はい。ですから、交換日記を致したいと」
「誰が?」
「私がです」
「誰と?」
「もちろん、主上とです」
陽子は一瞬、気が遠くなってしまった。頭、クラクラである。
景麒が願い事があると言うので聞いてみたが、あまりに突拍子もない願い事であった。
「なんだってまた、急にそんな事を………」
「はい。実は先日、泰台輔がご滞在の折りにご相談申し上げたのです。主上ともっと交流を深めるには、いかが致したら宜しいかと。そうしたところ、交換日記でもやってみれば、とのご助言を頂きまして」
「……お前、泰台輔にそんな事を相談したのか?」
「はい」
――なんていう奴だ。自国の内情をぺらぺらと他国の人間にしゃべってしまうなんて。ましてや王と麒麟の仲のことなんて、そう軽々しく口にするものじゃないだろう?
それに泰台輔も泰台輔だ。こんな情緒が欠如したような男と交換日記をしろとは!
延王が言っていたことの方が、実は正しかったのでは? と、ちょっと考えてしまった陽子である。
「景麒、お前は何か考え違いをしている。交換日記という物は…………その…仲の良い男女が、その…お互いのあ…いや、心というか気持ちをだな、その…高める…いや…深める…その…交流させるための、ものであって…」
恋愛経験の乏しい陽子であった。説明する言葉は、どうもぎこちない。ましてや説明の相手が景麒である。
「はい。ですから私は、その交流を主上と致したいのです」
きっぱりと言い切る景麒。
そして、陽子の顔をじいっと見つめる。
「………駄目なのですか?」
目が訴えかける。
「……………私との交換日記は嫌なのですか?」
瞳がひたすら陽子を見つめる。
「わ…わかった……………」
陽子は観念した。
「お分かり頂けましたか。では今宵より早速。ところで、どちらが先に綴ることに致しましょう?」
「……お前が先にしろ」
「御意」



その夜、陽子の元に一冊の帳面が届けられた。

−−−景麒の日記−−−

○月×日 天気−晴れ 

朝、卯の刻に起床。
衣服を調える。

朝議、恙無し。【つつがなし: 問題なしという意】
主上、少々不機嫌也。

午前の政務、恙無し。
主上の機嫌、変わらず。

午後の政務、恙無し。
主上の読み書き、相変わらず。

州庁での政務。
桔梗屋李黄と面談。税の遅滞について詮議。
李黄の奥方が疾病との由。
よって李黄、商いに励めず、税滞る。哀れ也。
猶予を与う。
他は、恙無し。

夕刻、居宮へ退出す。
官、館とも、恙無し。

−−−−−−−−−−−


読んでいて陽子は、力がもりもり抜けて行くのを感じた……。


−−−陽子の日記−−−

○月×日 天気−晴れ 

景麒、お前は考え違いをしている。
交換日記というものは、報告書でも、業務日誌でも、観察記録でもないんだ。
それに何だ、税の猶予という話は? 日記に書かずにきちんと報告しろ。
そもそも桔梗屋の奥方は、殺しても死なない女と、もっぱらの評判じゃないか。

景麒、交換日記というものは、いや、そもそも日記というものは、何か美しい
ものを見たりとか、楽しい話を聞いたりとか、あるいは悲しかったこと、辛かっ
たこと、または嬉しかったことなど、自分が感動したもの、心が動いた瞬間を、
文に留めるものなのだ。
そして、それを相手と分かち合おうとすることが、交換日記なんだ。
だから、あまり時々の事柄にこだわらず…………

−−−−−−−−−−−


日記を書いていて陽子は、だんだん自分が可哀相になってきた。
陽子があちらの世界にいて、まだ乙女だった頃、彼女も少女らしい淡い憧れに胸をときめかせていたのである。いつか素敵な男の子と日記を交わし、それを花や夢や恋やポエムなどでちりばめようと……。
しかし現実は、かくの如し。
何が悲しくて、情緒欠如男の日記を添削しなければならないのだろう?

陽子は、深い深い溜息を吐くのであった。



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