【注】 拙作「氾王藍滌の優雅な一日をまだお読みでない方は、まずそちらからお読みください。

 

氾王藍滌の優雅な一日 −慶国編−

作:藤屋ねくたー



朝−起床:

氾王藍滌の朝は、一杯のお茶からはじまる。
「……美味しい」
そのお茶は澄んでいてかおり高く、素晴らしく熱かった。
藍滌は牀榻の上から、お茶を給仕した女官に目を向ける。この者は、景王が藍滌のために特に選んだ女官であった。
「おまえも、少しはましなお茶が入れられるじゃないか」
「はい、ありがとうございます」
女官は満足そうな顔をすると、明るく答えた。
笑いながら藍滌は、茶器を口元へとゆっくりと運んだ。


午前−散策:

現在、氾王藍滌は慶国金波宮に滞在している。
政務は全て国に置いてきたが、そこは優秀な官が万事取り仕切っている筈。
憂い無く、滞在を愉しむことができた。
藍滌は園林や回廊を、暑気がない朝の早いうちに巡っていた。
その途中で、景王と会った。
挨拶を交わし、言葉を交わす。しばしの間、会話を愉しむ。
「……あの、なにか?」
ふと、会話が止まった瞬間、景王が質問を発する。
その時藍滌は、景王の姿をためつすがめつ眺めていたのであった。
景王はいつも通り、薄墨色の簡素な朝服を身に着けている。
「いやいや…なかなか……」
藍滌はそう言って、笑みを見せる。
「そうだ、これを」
藍滌は懐から紅い紗の薄布を取り出し、景王の襟元に目立たぬように結わえる。
そして再び景王を眺めると満足そうに微笑み、やがて静かに去っていった。
景王はしばらくの間、その場にたたずんでいた。


午前−読書:

氾王藍滌は、部屋で榻に座り書物を読んでいた。
しばらくすると、氾麟が部屋の中に入ってきた。何れかを放浪してきたのであろう。蠱蛻衫を脱ぎ捨てると、藍滌の近くの椅子へと腰掛けた。
そして藍滌に、色々と話し掛ける。
「ここはなかなか、居心地が良いわ。陽子に景麒に祥瓊、それに浩瀚、虎嘯も、みんな可愛くておもしろいし。それから、午後はおじいちゃん処のお茶に、お呼ばれをされているの。さっき約束しちゃって……」
藍滌は笑い、そして床の蠱蛻衫に目を向ける。
「だいぶ、それを気に入っているようだの」
そうなの、と氾麟は蠱蛻衫を拾い上げる。
「そう言えば、主上にはこれを着けた私が、どんな姿に見えて?」
「さてね…」
藍滌は微かに笑って、書物に目を落とす。
多少感じは異なったが、蠱蛻衫を着けても着けなくても、藍滌には氾麟が同じ印象で見えるのである。
「もう…」
氾麟はそれだけ言うと藍滌の隣に腰掛け、そして微笑むのだった。


正午−昼餉:

昼食である。
氾王藍滌は氾麟とともに、自分の部屋で昼食を摂る。
給仕するのはもちろん、藍滌付きの女官であった。


午後−小用:

藍滌の元に、自国より報せが届いた。鸞である。
親書の差出し人は、禁軍将軍−俊青であった。
鸞の口より、俊青の声で一連の報告がなされる。
フッと苦笑する藍滌。
わざわざ報せを送って来る程の火急の報せではないが、これも朴直な俊青の成せること。
返答を聞かせ、鸞を空に放つ。
「しかし…」
ぽつりと言葉を落とす藍滌。
「あやつは声まで無粋に聞こえるから、不思議よのう…」
こればかりは手の付けようが無いと思う、藍滌であった。


午後−散策:

午後も遅く、藍滌は内殿の園林を気ままに巡っていた。
院を回廊に沿って歩いていると、その院庭に人影が見えた。
将が一人、剣技を行っていた。
刀剣を手にし、軽やかに優雅にそして素早く、身体を躍動させている。
体の自然な流れは舞のようであり、一糸纏わぬ上半身は清々として、汗ひとつ無かった。
ふと足を止める藍滌。
見る者の視線に気づいたのであろう。将は、身体の動きに益々熱を入れる。
舞は、より優雅さを、より激しさを増して行く。
「フッ…」
だが藍滌は、短く笑ってゆっくりと去っていった。
後には将がただ一人、残された。


夕刻−夕餉:

夕食である。
氾王藍滌は氾麟とともに、自分の部屋で夕食を摂る。
給仕するのはやっぱり、藍滌付きの女官であった。


宵−就寝:

氾王藍滌の就寝は、やはり早い。
なお、寝具の用意をするのは当然、藍滌付きの女官である。
「あ……」
藍滌の寝間着姿を見て、女官は小さく声を上げる。
しかし良く気が利くこの女官は、それ以上の感想を口には出さなかった。

王宮の外には、等しく雲海が広がる。
夜の静寂に遠く波の音を聴きながら、藍滌は安らかな眠りにつくのだった。


かの如き賢王が治むる範西国に、つねに平穏のあらんことを……。

−おわり−

おまけ−この日の景王


午前−朝議:

宮中外殿にて朝議である。
三公六官、および諸官、そして可愛らしい少女が座についていた。
「………」
景王陽子は、思わず手で顔をおおう。
「景麒…」
「はい…」

――その日の朝議は、定刻より一時間開始が遅れた。

−End−

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