父の挨拶
  
 恭国。供王珠晶登極後、即位礼の後の数日後の穏やかな午後のことである。
 珠晶は霜楓宮内のいたるところを覗き回っていた。
「ねえ、供麒を見なかった?」
 登極したばかりでは執務には不慣れなことも多く、さすがの珠晶も精神的に、また肉体的にもかなり疲労がたまっていた。小さな子供だからと、まだまだ官の自分を見る眼は厳しい。そんな根本的な体質から改善しようというのだから、今後の苦労は大変なものになるだろう。
 その珠晶を補佐すべき存在が台輔である麒麟の供麒なのだが、今日はこれが朝議の後から姿を見ない。いつもなら、
「他にすることないの?」
と鬱陶しく思ったり、
「あっちへ行ってなさいよっ!」
と怒鳴りたくなるくらい始終傍にいるのだけれど…。
 幾人かの「知らない」の返事の後、やっと見つけた女官は、思い出すように言う。
「先ほど路門の方へ歩いていくのをお見かけいたしましたが」
「路門?」
 珠晶は小首を傾げた。
「外に何か用事があったかしら?」
 思い出そうとしても、珠晶の優秀な頭にそっち方面関係の用をいいつけた覚えはない。真っ先に訪ねた仁重殿でも、そんなことは一言も聞かなかった。
 どうしてこうもあの麒麟は役立たずなのか。大人しいのは許せる。煩いよりは遥かにいい。なのに、大人しいだけではないから困るのだ。黙っていればよいときに限って横からあれやこれやと言い、こちらが理で詰めれば泣く。
 そう!泣くのだ。あの二十年以上も生きている麒麟は。珠晶の倍以上生きている本当の大人のあの青年は!
「世の中のことなーんにもわかってないのよね、供麒って」
 蓬山生まれ蓬山育ちの純粋培養の麒麟。これなら自分の方が余程世間慣れしているというものだ。そもそも国のことだって、二人して王宮に上がるのは初めてなのだから、どっちが優位とかそういう話でもない。だから、腹が立つことの方がはるかに多いけれど、本当はもっと仲良くしたいとも思っているのだ。見えるところにいないのは…落ち着かないし不安にもなる。この王宮で、珠晶が心底頼れるのは実はあのお人よしの麒麟だけなのだから。
なのに!
「なんでいて欲しい時にいないのかしら?」
 草案とか朝議の議題とかではなく、単にいて欲しいときにいないのは一体どういうことなのか。
 こうして珠晶自らが探し回っているというのに。
「供麒ってそうなのよね。昇山の時も結局あたしが行くまで来なかったんだし。こういうのを受け身っていうのよ」
 ちょっと時間が空いたから、お茶でも一緒に飲もうと思っていたのに。そう思い、独りごちる。
「供麒の淹れるお茶っておいしいんだもの」
別に淋しいんじゃないんだけど。だから探すのだと、自分に言い聞かせる珠晶だった。
 珠晶はゆっくりと路門へ足を向けていた。これだけ探して見つからないのだからいい加減諦めれば良さそうなものだが、生憎珠晶は粘り強かった。言い方を替えれば、自分の思うように運ぶのが好きだった。
 とにかく、ここまで手間をかけたのだから逆に何としてでも見つけてやる!…と思ってしまう。当初の目的はすっかり「供麒探し」にすり変わってしまっていた。
「けど、供麒が仁重殿以外どこに用があるっていうのかしら?」
 府第にはいなかった。立ち寄った形跡もなかった。いい加減、苛々して来た珠晶である。
「王宮の中でかくれんぼなんてしてるんじゃないわよ、莫迦麒麟っ」
 この叫びを間近で聞いたものは…賢明にも聞かなかったフリをした。この時にはすでに、珠晶は齢十二にして、真の女王様として確かに霜楓宮に君臨していたのである。
 そして、賢い珠晶はハッとした。
「あたしって何てお莫迦さんなのかしら…!まさか、供麒ったらあそこに…」
 いや、路門に向かったとなればそれしかないだろう。珠晶はタッと駆け出した。すぐに連檣まで行かなければ!
 
 
 登極の前後から供麒は大層気にしていたのだ。
「主上にお会い出来たのはとても嬉しいのですけれど、こんな小さなお嬢様を貰うのだから…」
と。
 あれは親兄姉を指していた。何てわかりやすい男なんだと思いもするし、なんて生真面目なんだろうとも思う。あの様子では、家のものに律儀に挨拶をしに行ったに違いない。
 いちいちそんなことをしなくても。実家には即位礼の前に足を運んでいる。供麒の気持ちもわからなくはないが、それでいいじゃないかと思う。
 それに何より、あの供麒が何を言い、父が何を話すのかこれが気になって仕方がない。
「手間のかかる麒麟だわね、ほんっとに」
 
 
 連檣、北部にある高級住宅街。珠晶の実家である相園。広大な敷地の家である。
 駆け込んで来た珠晶を見て、門前の掃除をしていた家生は、驚いて箒を取り落としてしまった。
「お嬢様?」
「ただいまっ」
「本当にお嬢様なんですねっ」
 あの小さかったお嬢様が供王になったとお聞きした時には、心臓が止まるか思った。だけれど、今自分の目の前にいるお嬢様は、ちっとも変わったところはない。家生は、涙を流して喜んだ。本来王を前にして叩頭するのがしきたりだが、感激している家生はすっかり失念していた。珠晶も今あえて咎める気はない。
「そうよ。ねえ、それよりさっきここに、背が高くって頭を布でぐるぐる巻きにした怪しい、でもちょっと間の抜けた顔でへらへらしてる男、来なかった?」
 珠晶の供麒に対しての表現は、あのお人よしの麒麟を知っているものならば、
「的確!」
と大きく頷いたことだろう。麒麟は皆一様にきれいな顔立ちなので、供麒も例に洩れてはいないのだが、どうしても性質的なものが表面に出て判断してしまう。
「あ、はい。家公さまと離れにいらっしゃると思います。ただ、人払いをと言われておりますが」
 珠晶は小さな胸を思い切り張った。
「いいのよ。たとえ人払いだって、あたしが入ると言えば入るの」
「は…はい」
「あたしが来たこと、他の人には黙っててね」
 珠晶は、小走りに園林を横切り、広い園林の仲を池の傍に建つ離れへと向かった。
 
 
「いたわ…。供麒とお父様」
 目を凝らせば、豪華な作りの豪華な椅子に座って、二人は黙って向かいあっていた。ここまで来たらもう引き止める術はない。珠晶は二人に見つからないようにこっそり移動し、植え込みの中に身を潜め、中の様子を窺った。
 ひれ伏す如昇に、供麒も心持ち膝をついて、頭を下げている。一体何をやってるのだか…。二人して堂室の中、膝を付き合わせるように座って、頭を下げあっているのだ。
 珠晶は呆れた。いい加減珠晶が飽き掛けた頃、ようやく如昇が口を開いた。
「供台輔、本日はわざわざ拙宅までお越しいただきありがとうございます」
 供麒はやんわりと微笑した。
「いえ。そう堅苦しくなさらないでください。私も一度きちんとお会いしてお話がしたかったのですから」
 だが、如昇にしてみれば、台輔が来るというのはまさに一大事なのだ。気楽に出来ようはずもない。ますます身を固くして、額を床にこすりつける。
「珠晶…主上はお元気でしょうか?」
 その他人行儀な言い方に、供麒はわずかに苦笑したようだ。
「ご自分のお嬢様なのですから、名前でよろしいですよ。幸いここには、私のほかには誰もおりませんし。お顔をあげてください」
 ね?と優しく言われ、如昇は汗をかきつつ供麒の顔を見、そのほんわりとした表情に息を一つ吐いた。
「うちの娘が王などと恐れ多いことです」
「いえ。こればかりは人に左右できるものではありませんから。天の意思としかいいようがありません」
「ええ、それは私供もよくわかっております。ですが…」
 そこで如昇は、流れ出る涙を拭った。
(お父様…あたしがいなくなって悲しいのかしら…?)
 そう思って少しだけ胸をジンとさせた珠晶だが、どうも微妙に涙の種類は違っていたらしい。
 如昇は落ち着かなく着物を握り締めた。
「台輔には大変申し訳ないのですが、どこでどう間違ったのか、あの子はあんな勝ち気で理屈ばかりを口にする性格になってしまいまして…。丈夫に、優しい子になるようにと慈しんで育てたつもりが、本当に…申し訳ございません。もしや、もう何か粗相をしてしまったのではないでしょか?手も足も口も速い子ですので王宮の中で、みなさまにご迷惑をかけていやしないかと思うばかりでございます」
 娘が何かいたらぬことをしでかさないか、それを気にしての悔恨の涙だったというわけだ。
(お父様っ!)
 珠晶は襦裙を握り締めた。ここで怒鳴り込んでこの会見を滅茶苦茶にしてやりたい衝動に狩られる。が、ここでそんなことをすれば、ますます珠晶の株は下がるだろう。それこそ『子供』だと思われてしまう。それだけは、どうしても厭だった。
 供麒はただ黙って苦笑いを浮かべた。まさか出会い頭に平手打ちをくらったと言うわけには行かないだろう。言ってしまえば、如昇は目を回してひっくり返るか、もしかすると責任を感じて自害してしまうかもしれない。
 供麒の何とも言えない表情に、聡くすでに二人の間に何かがあったことを察した如昇は、本当に申し訳ない思いで一杯だった。
「ですが…」
 如昇はほんの少しだけ、優しく淋しげな笑みを浮かべ、瞳を伏せて手をついた。
「あれでも私どもの可愛い末娘でございます。わがままに育ちはしましたが、まっすぐなよい子です。子どもが王だなどと陰口も叩かれはしましょうが、どうか…どうか末永くよろしくお願いいたします」
 声は心持ち震えていた。
「そんな、私こそ…」
 供麒は深々と頭を下げた如昇の手に自分の手を重ねた。
「お義父さま、御顔をあげてください」
 如昇の心の底からの想いに触れ、鼻の奥がツンとしていた珠晶だが、この発言には大いに呆れた。
(誰が誰のお義父さまなのよっ!この大莫迦麒麟っ!!)
 あまりにもさりげない爆弾発言に、瞬間頭が白くなったが、漢字変換が終了してしまうと、それも怒りへと変わる。
 しかし、如昇の言葉に感極まった供麒は、零れ落ちるのを止められない涙を袖で拭った。
「本当によいご家族です。私の方こそ、大事なお嬢様をいただくのですから、申し訳ない気持ちでいっぱいです。ですが、私はとても嬉しいのです。よく、よく主上を育ててくださいました。本当にありがとうございます。お義父様たちが育ててくださらなければ、私は主上にお会いすることも出来なかったのですから。ご安心ください。主上は私が責任を持って大切にお守りいたします」
「ありがとうございます。こちらこそ。ふつつかな娘ですが、どうぞよろしくお願いいたします。ですが小難しいことを言う時には、聞き流すのがコツでございます、台輔。口論であの子に勝てるものは、家の中には一人もおりませんでした」
「はい。それは私もわかります」
 だが如昇は首を振る。
「台輔、娘を甘く見ないでください」
「そうですか?」
 きょんと首を傾げた供麒へ如昇は、珠晶との生活の激しさの重みと年月を感じさせるように深く頷いた。
「そうですとも。手も早い、口も頭も回るのが早い。人より数歩先を行き、別のものを考える。そんな子なんです、あの子は。あの子の頭の中は…私共家族にはとうとうわかりませんでしたから」
「それは…なんとなくわかります」
 彼らは小さく笑いあった。どうやら珠晶という人間に対する体験を共有することで、より互いの絆が深まったらしい。
 二人は顔を上げて、ようやく茶に口をつけた。それまで一顧だにされなかった茶は、すでにぬるくなってしまっていたが、緊張でカラカラに乾いた喉を潤すにはちょうど良かったようだ。
 そしていつの間にか、話は思い出話に移っている。
「家から持ち出した銀が持参金になりました。あれが盗られたと知った時には私は寝込んでしまったものです」
「そのおかげで優秀な朱氏を案内に頼むことが出来たのですから、結果よければというところではないでしょうか」
さすが供麒である。何事にも前向きなところが彼らしい。
 だが如昇は最初の遠慮はどこへやら、ここぞとばかりに話を進める。
「これだけではないのです。あの子のしたことでどれだけ寿命が縮んだことか…。庠学に行く時の口論は、家の中でも語り継がれているのでございますよ。それにあの子が六つの時でしたか。一番上の兄と…」
 のんびりと二人の会話は続く。如昇にしてみれば、娘を託す相手へのせめてもの情報提供のつもりなのだろうが、中身が愚痴に近いものになっていることに気付いているのかいないのか…。
(悪気はないのよね、お父様も…)
 聞いていて恥ずかしくなった珠晶だ。こうなるだろうことがわかっていたから、二人だけであわせたくなかったのに…。
 
 
「お邪魔したわ」
「お嬢様、もうお帰りになるんですか?家公様には?」
「ああ。もういいわ…。あたしの入る隙なんてなさそうだし」
「はァ…」
「あ、いいのよ、気にしないで。それじゃあまたね」
 あまりにも疲れた身体をかろうじて引き摺って珠晶は、実家から嫁ぎ先、霜楓宮への岐路を辿るのだった。
 
 
 
 供麒は、珠晶が戻って結構経ってから戻って来た。
 内殿でのんびりと寛いでいた珠晶は、チラと眼だけ上げてどこか嬉しそうな麒麟を見た。
「主上、ただいま戻りました。黙って出かけていて申し訳ございませんでした。あの、お探しだったと聞きましたが?」
「それはもういいわ。…随分ゆっくりだったけど、どこに行ってたのよ?」
 あえて素知らぬふりを装って訊くと、供麒は曖昧に、だがどことなく嬉しさを隠し切れない顔で笑った。
「少し知り合いのところまで」
 ふうんと小さく鼻を鳴らし、髪を弄ぶ動作はどことなく不機嫌で、供麒はわけのわからないまま所在無げに堂室の中を見回した。自分は何か主上の機嫌を損ねるようなことをしただろうか…?
 不安でいっぱいの供麒に、珠晶はボソッと言った。
「ついこの間蓬山から下りたばかりの供麒に知り合いがいたなんて初耳だわ」
「…えっと…それは…」
「まあいいけど。それで、それはどうしたの?」
「はい」
 追求が逸れてほっとした供麒は、いそいそと手にした包みを卓に乗せ、広げた。
「知り合いから土産を貰って参りました。どうぞお召し上がりください」
「お土産?知り合いって気前がいいのね」
 珠晶は感心したふりをしながら箱の蓋を開けた。中にあったのはお菓子。小麦を捏ねて中に乾燥させた果物を細かく砕いて混ぜ焼いた菓子である。
「あら、これもしかして手作り?」
「ええ、その知り合いの家で、私もご一緒に作ったんです。主上がお好きだとお聞きしましたので…」
 にこやかに言う供麒の顔を珠晶は、まじまじと見つめた。
「あんたが?」
「はい」
「供麒って実は料理好き?」
 供麒は微笑みながら珠晶を見つめた。
「主上のためでしたら何でもいたします」
あまりに直にそれを表現されたのは初めてで、さすがの珠晶も何と言っていいのかわからない。この辺はまだまだ子供なのだろう。
 この間に供麒は慣れた手つきで茶を淹れ、一つを皿に乗せて珠晶に差し出した。
 口にすると、少しだけ懐かしい甘い味がした。
「どうでしょうか?」
「まあまあね」
 言いながら珠晶は二つ目に手を伸ばし、口の中に放り込んだ。
「よかった」
 本当に緊張していたのだろう。それを見て供麒は大きく息を吐き出した。それから、おずおずと切り出した。
「あの…。お礼の手紙を書いていただきたいのですけれど…」
「礼?」
「はい」
 どうでしょうか…と不安そうに半分期待して見つめる供麒に、珠晶は小さく笑った。
 もうなんだってこんなことに気を使うのだろう、この麒麟は。もっと他に考慮しなくてはいけないことはたくさんあるというのに…。
 でも。
「わかったわ。じゃあ、そのどこの誰か知らない人に、お礼を書けばいいのね」
「はい」
 
 
 書き終わった文は、また供麒が取り持つのだろうか。まあ、それはそれでよいかもしれない。
「ふつつかな娘…ね」
 実の娘にそんな言い草はないとは思うが、父の心境なら仕方がないものなのかもしれない。
「ねえ、供麒」
 呼びかけると、銅色の髪をした麒麟は、静かに微笑んで珠晶の前に膝をついた。見上げる優しい紫色の瞳。少しだけ、素直になってみようと思った。
「またこれを作ってくれる?」
 供麒はそれはもう明るく、幸せ一杯の顔で頷いた。
「喜んで」 
 
 
お父様へお母様へ
 
お土産どうもありがとう。
あたしは王宮で何とかやってるわ。
だから心配しないで見ててね。
この国をきっとよくしてあげるから。それじゃあ
 
ふつつかな娘より



  
  
 そこまで書いて、珠晶は最後の行を二本の線で消した。
「やっぱり自分で言うものじゃないわよね、これ」
 そして、太くしっかりと書き直す。
「偉大な娘より」
と。
  

 < Fin >

 

Noelのあさかつきこさまよりいただきました。
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